大絶画さんの公開ページ レビュー一覧 公開ページTOPへ レビュー 偶像の黄昏/アンチクリスト ニーチェ 著 / 西尾幹二 訳 / 吉本隆明 解説 鉄槌はどこに落ちたか 『偶像の黄昏』『アンチクリスト』ともにニーチェ最晩年の作品です。筆が乗っていたのか毒舌タレントの批評を聞いているような気分にすらなります。しかし2年後、ニーチェは狂気の深淵に沈むことになります。 彼はこれらの作品で西洋の価値観とくにキリスト教道徳を否定していますが、むしろニーチェにこそキリスト教道徳が必要だったのかもしれません。彼自身、キリスト教道徳を否定してもキリスト(イエス)そのものは否定していないように思えます。そもそも彼自身、自らが依って立つ価値観を壊して生きられるほどの「超人」ではなかったのです。 皮肉にも西洋的価値観を破壊するために振り下ろされた鉄槌はニーチェ自身を砕くことになりました。本書の読者はくれぐれも注意されますよう。 最後に西尾氏の翻訳に触れます。簡単な注は()で挿入されており、文体もふてぶてしさを感じられ、ある種の心地よさすらあります。ぜひ書店などで読み比べて自分に合ったものをお選びください。(2025/05/05) 道元禅師のことば 「修証義」入門 有福孝岳 坐禅する姿に仏が宿る 『修証義』は道元の主著『正法眼蔵』や仏典から編まれた全五章三十一節の文章です。 本書は一節一節である原典である『正法眼蔵』に立ち帰り解説しており、著者は西洋哲学を専攻していたこともあってグローバルな視点で『修証義』を読み解いています。曹洞宗の常用経典という位置づけではありますが、内容は仏教入門であり私のような他宗派にも得るものが多いでしょう。とくに道元が坐禅する(真摯に生きる)姿に仏を見出したことに納得がいきます。 この度、法蔵文庫に収録され日用の合間にも見直せるようになりました。行住坐臥(日常生活)すべてが修行と思い、折に触れて確かめるのがいいでしょう。(2025/04/11) 大乗仏典 9 宝積部経典 迦葉品・護国尊者所問経・郁伽長者所問経 長尾雅人 桜部建 訳 初期大乗仏典の宝 大乗仏教といえば『維摩経』に代表されるように寛容的・在家重視の思想を思い浮かべるかもしれません。しかし本書に収録されている三経典は禁欲的・出家重視の内容になっています。空観や本生譚がなければ原始仏典を思い浮かべるかもしれません。 しかしどちらも間違いではなく、それぞれの立場で「我らこそ仏教の正統(大乗仏教)である」と宣揚したといえます。そして『維摩経』や『法華経』を補完する作品群といえるでしょう。 一般的な大乗仏典は甘いと考える方にお勧めです。(2025/03/23) 大乗仏典 4 法華経 I 松濤誠廉 長尾雅人 丹治昭義 訳 精密な法華経 法華経とくに鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は『般若心経』に次いで読まれた経典であり、『維摩経』と並ぶ仏教文学の最高峰、アジア思想にも影響を与えてきました。サンスクリット(梵)語原典を現代語訳で読みたいという方も多いと思います。 さてサンスクリット語原典の現代語訳としては岩波文庫の坂本・岩本訳、岩波書店の植木訳は手に入りやすいです。前者が歴史的背景が押さえてあり・羅什訳との対比が便利ですが文法に間違いがある。植木訳は文法が確かで掛詞もしっかり訳されていますが自説や自宗に対するこだわりが強いように思います。 そこで中公文庫版ですが羅什訳を中心にまとめつつも漢訳三本・梵訳・チベット訳と各種テキストを比較しており内容も確かで中立な訳になっています。注釈で歴史的背景や羅什訳との違いも押さえていますから、しっかりとサンスクリット語原典と向き合いたい方にお勧めです。(2025/03/15) 理趣経 松長有慶 生命の肯定 仏教とくに本経を含む般若経典には虚無主義・厭世主義という印象を持たれる方が多いと思います。しかし否定の否定(二重否定)が強い肯定を表わすように『理趣経』は密教の精神である生命の肯定を表わしています。 さて『理趣経』には「セックスを肯定したお経である」という印象を持つ方がいます。それは経文の表面をただ眺めるからで本質は世俗の欲望を超えた大楽の道を示しています。 本書では『理趣経』の歴史的な背景そして深層を解説し、ありのままの生命を肯定する密教の精神が説かれています。 現代では個人の欲望が肯定されます。しかし多くの人は我欲に振り回されることに疲れているはずです。いま一度『理趣経』に説かれている大楽(欲望を超えた欲望)を見直す時なのかもしれません。(2025/02/28) 『悲華経』文庫化リクエスト 曇無讖(どんむしん)訳 もう一つの白蓮華 “白蓮華”と名がついたお経といえば『妙法蓮華経(白蓮華のような正しい教え)』が有名です。そしてもう一つの白蓮華の名がついたお経といえば本経『悲華経(白蓮華ような大悲の教え)』でしょう。 本経は浄土三部経とは逆に“穢土成仏”を説いています。それは浄土に産まれることが可能なのにあえて穢土を選んだ釈尊の大いなる慈悲が賛嘆されています。その様は壮絶の一言で優しい方は気分が悪くなるかもしれません。 とはいえ浄土の素晴らしさを知るためには穢土の悲惨さを知る必要があります。法然や親鸞が著書で再三引用したのもそのためです。 『妙法蓮華経』と並ぶ白蓮華(正法)『悲華経』を一度は読んでみましょう。(2025/02/23) 反復 キルケゴール 著 / 桝田啓三郎 訳 追憶から反復へ コンスタンティヌス(キルケゴール)によれば後方(過去)に向かうのが「追憶」で前方(未来)に向かうのが「反復」です。 かみ砕いていうなら苦しみや悲しみを受け入れつつ未来に向かって生きるということになでしょうか。本作ではコンスタンティヌスが青年の恋を通して「追憶」から「反復」への転換は可能を実験しているといえます。 いかなる結論が導かれるかは読者に委ねますが、本作を通してキルケゴールが「反復」したのはレギーネとの悲恋です。そういう意味で本作は『誘惑者の日記』の続編といえます。そして『反復』以後『不安の概念』や『死にいたる病』を書き上げますから彼は「反復した」といえるでしょう。 さて訳者は日本を代表するキルケゴール研究者で文庫版は翻訳と解説書を兼ねているといえます。実存文学の最高峰を名訳でお楽しみ下さい。(2025/02/16) 浄福なる生への導き J.G.フィヒテ 著 / 高橋亘 訳 / 堀井泰明 改訂・補訳 浄福と生 「なぜ私は不幸なのか」あるいはそこまでいかなくても「私はもっと幸福になれないか」と考える人は多いでしょう。 フィヒテによれば「本来『浄福(幸福)』と『生(存在)』は一致しているのにそれに気付いていないから」となります。そして明晰な思考でこの真理に到達する方法が説かれます。 さて本講話に限らずフィヒテの講話(『ドイツ国民への講話』など)は観念的・理想論的な傾向があります。そして何よりも彼の議論はキリスト教を前提としています。非キリスト教徒にとって取っ付きづらいのも事実でしょう。 とはいえ仏教の仏性論にも通じる彼の議論は、(私も含め)つい他人のあら探しや否定に終始する現代だからこそ輝くものです。人間の善性・理性を信頼したフィヒテの宗教論に耳を傾けましょう。(2025/02/01) 密教経典 大日経・理趣経・大日経疏・理趣釈 宮坂宥勝 密教の入口と実践 本書には密教の入口である『大日経』の住心品(序章)とその解説『大日経疏』第3巻まで。実践・功徳を説いた『理趣経』と解説『理趣釈』が収録されています。 本来、密教の奥義は師について学ぶべきものですが、「生きとし生けるものはすべて尊い存在である(即身成仏)」という精神。その真理に達するための「自分の心を知る(如実知自心)」という方法は学べます。 さて現代は高度情報化社会と呼ばれます。しかし実は自分のことすら知らないのが凡夫(凡人)である我々の実状です。今こそすべてを包括して理解する密教の精神を学ぶときなのかもしれません。(2024/12/28) 現代の批判他一篇(岩波文庫 33-635-4) セーレン・キルケゴール著 桝田啓三郎訳注 キルケゴール入門 「とりあえずキルケゴールの著作を読みたい」という方は本作を読むのが一番だと思います。分量も少なく現在でも優れた現代・大衆批判です。一般にキルケゴールの著作は人を寄せ付けない嫌いがありますが、本作は比較的読みやすい(しかし1度や2度では歯がたたない)でしょう。 さて『二つの時代』の文芸評論という形であぶり出された“現代”の姿は「分別(情報)はあるが情熱のない時代」になります。それはSNS時代の現在においてますます加速しているかもしれない。政治家・芸能人の発言や行動で一時期的に“炎上”するものの、それは半年もしないうちに有耶無耶になる。そしてそしてあれほど騒いだ事件の顛末がほとんどの大衆は気にもしない。 歴史初のマスコミ被害ともいうべき「コルサル事件」の被害者であったキルケゴールは身に染みたことでしょう。後にヤスパースやハイデッガーもキルケゴールの現代批判を継承します。 最後に国際報道などで「各国で極右・原理主義者への傾倒が見られる」と分析されることがあります。一見するとキルケゴールの指摘とは反対ですが、むしろ大衆は極右・原理主義へ均質(水平)化してるといえるのかもしれません。彼は『死にいたる病』をはじめ「信仰(神)と向き合うことで責任ある個人になれ」と説くのですが、神無き現代に可能なのか。現代でも彼の現代批判は普遍です。(2024/12/19) ティマイオス プラトン 著 / 土屋睦廣 訳 宇宙から人体へ プラトンの主著は質・量ともに『国家』でしょうが、影響力では『ティマイオス』が勝っています。 その内容はこれまでの著作と異なり神話的・オカルト的色彩が強く続編の『クリティアス』は未完に終わり『ヘルモクラテス』に至っては書かれずじまいです。 訳者解説の「もっともらしい言論」で言論の不安定さ・議論レベルの相違が指摘されてますが、これがプラトンが未完成に終わらせた原因かもしれません(そして長い間文庫化されなかった)。 しかし造物主デーミウールゴス(以下、長音略)がユダヤ教やキリスト教の唯一神と同一視され創造の神秘と説いたと考えられ、逆にグノーシス主義ではデミウルゴスこそ真の創造主と説かれました。また現代でもデミウルゴス、アトランティス、オリハルコン(アダマース)とオカルトや創作に生きています。 最後に講談社学術文庫版について述べると読みやすい文体で、読者が躓くであろう部分に解説が施されているように思えます。『クリティアス』が収録されていないことが残念ではありますが、プラトンの名著が文庫で読めるようになったのは画期的です。(2024/12/14) 原典復刊 ほうれんそうが会社を強くする 山崎富治 "ほうれんそう"を育てよう 「ほうれんそう(報告・連絡・相談)は大事だ」と1度ならず指導や研修を受けたでしょう。しかし元々社員でなく経営者の指針だったと知る人は少ないでしょう。 著者によれば「自分は浅才な経営者であり、経営を円滑に進める上で社員の叡智を結集する必要があった」と開発経緯を述べています。 さすがに初版が40年前のこともあり事例が古かったり終身雇用を前提とし現代に合わない部分はあります。しかし非正規労働者が増えた現代だからこそ社員の情報共有、"ほうれんそう"がスムーズに行える風通しのいい環境作りは必須と言えます。 最後に出版社の前書きからもわかるようにハラスメントやコンプライアンス違反など企業不祥事は後を絶ちません。とくに2023年は50・100年に1度レベルの不祥事が次々と明らかになりました。いま一度、土壌(企業風土)を見直して下さい。このままでは"ほうれんそう"どころかあなたの会社が立ち枯れてしまうかもしれません。(2024/09/07) お地蔵さま 伊藤古鑑 南無、地蔵願王尊 本書では地蔵歎偈から地蔵三部経をはじめとした経典、そして霊験記や地蔵和讃と原典に忠実にそれでいてレベルを下げすぎず地蔵菩薩の偉大さを描いています。 読み進めていくうちに願王(悲願の王)と呼ばれる由縁が理解でき、お地蔵さまへの感謝も深まるはずです。 どうかお地蔵さまを見かけたら「南無地蔵菩薩」または「おん・かかか・びさんまえい・そわか」と唱えて下さい。六道の衆生を救うお地蔵さまにとって何よりの供養となります。(2024/09/05) 普勧坐禅儀講話 原田祖岳 とにかく坐禅しろ 坐禅の神髄を謳った文章は多々ありますが、白隠の「坐禅和讃」と道元の「普勧坐禅儀」が二大巨頭でしょう。 とくに「普勧坐禅儀」が道元が帰朝して初めて明らかにした文章であり、日本の坐禅はここから始まるといっていいのかもしれません。内容は人間の本質から、仏教(禅宗)の歴史、坐禅のやり方・心構えなど多岐に渡ります。しかし日本を代表する曹洞宗の僧であった著者が簡潔に説いておりますので、読み通せると思います。 最後に道元は「只管打坐(ただ坐禅せよ)」を唱えました。この「タダ」の奥深さ・難しさは本書の中で何度となく書かれています。しかしそれに臆することなく1日5分や10分でも、ぜひ坐禅を取り入れていただきたいです。道元の地平へ必ずたどり着けるはずです。(2024/08/07) 慈経/宝経/吉祥経 祝福や息災祈願に唱える3つの「護経(パリッタ)」を読む アルボムッレ・スマナサーラ 仏教の修行・実践 護経(パリッタ)は大乗仏教の真言(陀羅尼)や念仏に相当するものです。仏教の実践が具体的に説かれています。 内容は「正しく観察しよう」とか「生きとし生けるものを慈しみましょう」など単純です。人によっては「きれい事」「理想論」と切り捨ててしまうかもしれません。ただ「素直に現状を受け止め、いまできることをしましょう」とも書かれています。 本書では1節(偈)ずつパーリ語原文・カタカナ表記・日本語訳が付き、さらに解説もされています。また巻末には対訳で経文が乗っています。単純ではありますが奥深い。1日1日読み進め実践していきましょう。(2024/08/04) 大乗仏典 15 世親論集 長尾雅人 梶山雄一 荒牧典俊 訳 まず識より始めよ 龍樹をはじめとする中観派が言語(既成概念)の解体を通して執着からの解放(覚り)を目指したとするならば、世親たち瑜伽行唯識派は覚りや修行段階の言語化を目指したといえるでしょう。 彼らが取った手法は唯識すなわち「物事を認識している私はとりえず存在する」と認めることでした。それはデカルトの「コギト(我考える)」やフッサールの「判断中止(エポケー)」に通じる部分があります。 さて本書には世親による他派への反論である『唯識二十論』、『唯識三十頌』のスティマティ(安慧)の注釈『唯識三十論(釈)』、『三性論』と訳者・長尾氏の注釈と唯識の代表的な論書が収録されています。とくに中観と唯識の止揚を目指した『中辺分別論』が重要です。 講談社学術文庫『世親』と合せて読むことで唯識への理解が深まるはずです。(2024/07/27) 大乗仏典 14 龍樹論集 梶山雄一 瓜生津隆真 訳 言語習慣の解体 龍樹は釈尊以後最大の理論家といえます。彼は大乗仏教の二大柱・中観(空観)を完成させました。彼が中観を通して訴えたかったものは何でしょう。 それは言語習慣(既成概念)の解体といっていいかもしれません。例えば「日本人」「共産主義者」など言葉を聞く発生するイメージがあるでしょう。そのイメージは適切でしょうか。あなたが勝手に作り上げた像ではないでしょうか。そしてその像が自縄自縛を引き起こしてはいないでしょうか。 龍樹は主著『中論』をはじめ「否定する対象が存在しないのだから否定しようがない」など言葉遊びのような言い回しで言語の解体を促します。独特の言い回し故、虚無主義や否定主義のレッテルを貼られましたが、何々主義からの解放こそ彼の望みです。 さて本書に『中論』は含まれていませんが、中観関連の論書、道徳書が収録されています。講談社学術文庫『龍樹』と合せて読むことで中観の理論・実践が理解できるはずです。(2024/07/26) 白隠禅師坐禅讃講話 原田祖岳 衆生本来仏なり 坐禅の真髄を説いた書物は多々あれど真っ先に上げるべきは道元の『普勧坐禅儀』と白隠の『坐禅讃(坐禅和讃)』でしょう。 坐禅讃の歌い出しは「衆生本来仏なり」ですが「最初から仏ならばなぜ坐禅などするのか」と思われるかもしれません。本書は120ページほどの小著ですが、坐禅ににおける疑問や功徳・真髄が無駄なく説かれています。 まずは何より坐禅(あるいは白隠禅師の内観法)を始めるべきですが、時には禅師の坐禅讃を読み返してください。坐禅への熱意が強くなります。(2024/07/23) 古代インドの神秘思想 服部正明 ウパニシャッドの本質へ 『ウパニシャッド』は古代インド思想の頂点でありヨーガや仏教にも肯定・批判的に受け継がれています。その重要性は疑うまでもないでしょう。 とはいえ素人が教典を読み通す並大抵ではありません。本来なら師について学ぶものですが、いい概説書がほしいところで、本書はその標準といえます。 さて本書ではウパニシャッドの研究史を眺めつつ、『ブリハッド』『チャーンドギヤ』『カウシータキ』など初期の主要ウパニシャッドの記述から本質に迫っていきます。 祭祀・儀礼からいかに高度な哲学が生まれたのか、なぜそのような思想が必要なのか理解できるはずです。(2024/07/19) 読書と人生 三木清 読書論の古典 現在はリスキニング(再学習)がささやかれています。そのためのアプリなど学習ツールも配信・販売されていますが、何よりも読書が基本でしょう。 さて著者は「学生時代のうちに読書の習慣をつける」よう書いています。また何を読むか・どのように読むか、簡潔ではありますが手堅くまとめられており読書論を学ぶ上で古典(スタンダード)といえます。 また読書論を超えて、師である西田幾多郎そしてハイデッガー(ハイデッゲル)など知識人との交流と知的好奇心を満たしてくれるでしょう。(2024/07/18) 『学処集成』文庫化リクエスト シャーンティデーヴァ(寂天) 著 / 佐々木一憲 訳 菩薩行の教則本 起心書房ハードカバー版のレビューです。 著者シャーンティデーヴァ(寂天)の主著は何といっても『入菩提(菩薩)行論』(以下BCA)でしょう。一般に『学処集成』(以下SS)の要約であるBCAが用いられますが(この点、親鸞の『教行信証』と『歎異抄』の受容に似ています)、寂天自身BCAの中で「詳しくはSSを読むように」と勧めています。 さてSSの内容は菩薩行の教則本と言っていいでしょう。多くの経典を引用しつつ菩薩の心構え・修行法を説いています。凡夫には難しい部分が多々ありますが、読み進めていくうちに心が浄化されるようです。 さてチベット仏教への関心からBCAそしてSSが注目されるようになりましたが、日中では漢訳である『大乗集菩薩学論』の出来の悪さもあってかあまり注目されることはありませんでした。サンスクリット語原典からの直訳である本作を通し大乗仏教(とくに中観派)の精神・行を学びましょう。(2024/07/08) 法華経物語(岩波現代文庫 学術315) 渡辺照宏 法華経の古層 鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は『般若心経』の次ぎに日本で読まれたお経でしょう。しかし何度となく読み進めるとその内容や構成に違和感を覚えると思います。 本書は『妙法蓮華経』はもちろん他2種の漢訳、サンスクリット語原典はもちろんチベット語テキストなど各種テキストを比較して法華経の古層を明らかにしています。その過程で様々な経典をまとめ1つのテキストに構成されたことが明らかになります。 さて入門書とされる本書ですが、初心者向けに書かれているとはいえ上級者・研究者も満足できる内容になっています。既存の解説書では満足できない方におすすめです。(2024/04/28) 孟子 全訳注 宇野精一 訳 『孟子』読むなら 『孟子』は儒教の聖典・四書の一つであり、孔子と並ぶ聖人・孟子の言行録です。『論語』とともに読んで損はありませんが『論語』ほど現代語訳や解説書が充実していないのも事実です。 本書は集英社「全釈漢文大系」を底本としており訳者も日本を代表する中国哲学者であった宇野氏で現代語訳も確かです。構成は章ごとに書き下し文・現代語訳と続き、原文は章末に返り点付きでまとめて掲載されています。 (おそらく分冊にしないための工夫なのでしょうが)訳注がないのが気になりますが、一巻本で気軽に読めますし『孟子』を手に取ろうという方におすすめです。また同文庫には吉田松陰による解説『講孟箚記』も収録されていますので、合せて読むといいでしょう。(2024/04/16) 不動明王(岩波現代文庫 学術285) 渡辺照宏 不動明王とは何者か 不動明王とは何者か。著者はインド文化に即しながら論じています。 その過程で日本文化に根付いた不動信仰、真言密教の豊穣さが余す所なく理解できるはずです。(2024/02/28) 弥勒信仰 もう一つの浄土信仰 速水侑 弥勒の浄土から弥陀の浄土へ 日本で「浄土」といえば阿弥陀如来の西方浄土を思い浮かべる方がほとんどだろう。しかしかつては弥勒菩薩の上生・下生思想(釈迦入滅後、56億7千万年後に弥勒が下天する)から生まれた弥勒の浄土信仰が存在した。 本書ではインドで発生し中国・朝鮮から日本に弥勒信仰が伝わったか、いかなる変遷を経て、法然・親鸞の阿弥陀信仰に取って代わられたかが手堅くまとめられている。 現代の信仰についてはまとめられていないが、その点は著者も述べるように宮田登著『ミロク信仰の研究』などでカバーできる。 厭離穢土(現世否定)とは異なる現世肯定を説いた弥勒信仰の魅力を堪能してほしい。(2024/02/26) 道徳的人間と非道徳的社会 ラインホールド・ニーバー 著 / 千葉眞 訳 良心と権力 昨年(2023年)は10年に一度あるいは100年の一度の不祥事が次々と明らかになりました。 このような企業の不祥事が起こる度、成員の知識や権限が問題にされます。いわく「マニュアルが徹底されていなかった」「監査部門の機能していなかった」などです。そして「コンプライアンス教育を徹底する」「監査部門を強化する」など対策が行われます。しかしそのようなことで防止はできるのか。 そしてニーバーは個人は自分と同じように相手を理解できないし配慮もできない。また組織の強制力(権力)は個人の良心を容易く凌駕する。さらに指導者の良心が成員に暴力的に働くことがあると明らかにします。 ニーバーの分析に容赦はありません。しかし改善する努力そのものは評価しています。 ニーバーが1960年の序文でいうように本作には古くなった部分が多々あります。しかしその分析は古びておらず、もしかしたら個人と社会の相剋はいっそう強くなっているかもしれません。いま一度ニーバーの言葉に耳を傾けましょう。(2024/02/25) 暮らしのなかの仏教語小辞典 宮坂宥勝 日本語に溶け込む仏教語 同著者『仏教語入門』の新装版です。 覚悟や我慢など有名ですが、旗や瓦も仏教語由来で驚きます。 一単語が1ぺーじにまとめられておりますのでペラペラとめくっているだけで楽しめます。 日本語に根付く仏教の精神を学びましょう。(2024/02/11) コーラン 全三冊 (中) 井筒 俊彦 コーランを読むなら イスラームの影響は日に日に強くなっていますから「コーランを読みたい」と考える方は多いでしょうね。 アラビア語との対訳も出ていますが、日本語で読みたければ岩波文庫の井筒訳をおすすめします。とくに井筒氏は『「コーラン」を読む』という最良の副読本を著わしていますから日本人にもイスラーム文化を理解できるはずです。(2024/01/21) コーランを読む 井筒俊彦 イスラームの扉を開く ある文化を理解する上で、その聖典を読むことが重要である。とくにイスラーム文化圏の影響は日に日に強くなっていますから「『コーラン』を読みたい」と考える方は多いでしょう。しかし著者がいうように日本人にとって時間的・空間的に離れた『コーラン(クルアーン)』を理解することは無理があります。 著者は岩波文庫版『コーラン』の日本語訳を手がけ、祈祷文であり序章「開扉」の章を10回のセミナーで解釈学的思考を用いて読み解く様は圧巻の一言です。 井筒氏以後も『コーラン』の日本語訳・解説は存在しますが、氏ほど読み込んだ方はいないかもしれません。本書を通し『コーラン』の扉を開きましょう。(2024/01/17) ドイツ国民への講話 <近代社会思想コレクション 35> フィヒテ 著 / 山脇直司 監訳 / 栩木憲一郎 訳 激動の時代の人材教育 本講話は一般的に「ドイツ国民に告ぐ」で知られています。 ナポレオン率いるフランス軍の監視の下、講話は開かれました。フィヒテ自身死も覚悟していたといいます。 さて内容はいたずらにナショナリズムを煽るのではなく、あくまでも人間の理性・良心に訴えました。出版の自由、言語教育、それらを統括する国家のあり方など普遍性・先見性が見えます。 当時から理想主義的な国家論に批判があったようですが、フィヒテが訴えるように激動の時代に必要なのは何よりも自律的な人材です。現在の日本は占領下ではありませんが、不安定な世界情勢、そして2024年の能登半島地震と混迷の中にいます。いま一度フィヒテの声に耳を傾ける時なのかもしれません。(2024/01/08) 前へ 1 2 3 4 次へ
レビュー
偶像の黄昏/アンチクリスト
ニーチェ 著 / 西尾幹二 訳 / 吉本隆明 解説
鉄槌はどこに落ちたか
『偶像の黄昏』『アンチクリスト』ともにニーチェ最晩年の作品です。筆が乗っていたのか毒舌タレントの批評を聞いているような気分にすらなります。しかし2年後、ニーチェは狂気の深淵に沈むことになります。
彼はこれらの作品で西洋の価値観とくにキリスト教道徳を否定していますが、むしろニーチェにこそキリスト教道徳が必要だったのかもしれません。彼自身、キリスト教道徳を否定してもキリスト(イエス)そのものは否定していないように思えます。そもそも彼自身、自らが依って立つ価値観を壊して生きられるほどの「超人」ではなかったのです。
皮肉にも西洋的価値観を破壊するために振り下ろされた鉄槌はニーチェ自身を砕くことになりました。本書の読者はくれぐれも注意されますよう。
最後に西尾氏の翻訳に触れます。簡単な注は()で挿入されており、文体もふてぶてしさを感じられ、ある種の心地よさすらあります。ぜひ書店などで読み比べて自分に合ったものをお選びください。(2025/05/05)
道元禅師のことば 「修証義」入門
有福孝岳
坐禅する姿に仏が宿る
『修証義』は道元の主著『正法眼蔵』や仏典から編まれた全五章三十一節の文章です。
本書は一節一節である原典である『正法眼蔵』に立ち帰り解説しており、著者は西洋哲学を専攻していたこともあってグローバルな視点で『修証義』を読み解いています。曹洞宗の常用経典という位置づけではありますが、内容は仏教入門であり私のような他宗派にも得るものが多いでしょう。とくに道元が坐禅する(真摯に生きる)姿に仏を見出したことに納得がいきます。
この度、法蔵文庫に収録され日用の合間にも見直せるようになりました。行住坐臥(日常生活)すべてが修行と思い、折に触れて確かめるのがいいでしょう。(2025/04/11)
大乗仏典 9 宝積部経典 迦葉品・護国尊者所問経・郁伽長者所問経
長尾雅人 桜部建 訳
初期大乗仏典の宝
大乗仏教といえば『維摩経』に代表されるように寛容的・在家重視の思想を思い浮かべるかもしれません。しかし本書に収録されている三経典は禁欲的・出家重視の内容になっています。空観や本生譚がなければ原始仏典を思い浮かべるかもしれません。
しかしどちらも間違いではなく、それぞれの立場で「我らこそ仏教の正統(大乗仏教)である」と宣揚したといえます。そして『維摩経』や『法華経』を補完する作品群といえるでしょう。
一般的な大乗仏典は甘いと考える方にお勧めです。(2025/03/23)
大乗仏典 4 法華経 I
松濤誠廉 長尾雅人 丹治昭義 訳
精密な法華経
法華経とくに鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は『般若心経』に次いで読まれた経典であり、『維摩経』と並ぶ仏教文学の最高峰、アジア思想にも影響を与えてきました。サンスクリット(梵)語原典を現代語訳で読みたいという方も多いと思います。
さてサンスクリット語原典の現代語訳としては岩波文庫の坂本・岩本訳、岩波書店の植木訳は手に入りやすいです。前者が歴史的背景が押さえてあり・羅什訳との対比が便利ですが文法に間違いがある。植木訳は文法が確かで掛詞もしっかり訳されていますが自説や自宗に対するこだわりが強いように思います。
そこで中公文庫版ですが羅什訳を中心にまとめつつも漢訳三本・梵訳・チベット訳と各種テキストを比較しており内容も確かで中立な訳になっています。注釈で歴史的背景や羅什訳との違いも押さえていますから、しっかりとサンスクリット語原典と向き合いたい方にお勧めです。(2025/03/15)
理趣経
松長有慶
生命の肯定
仏教とくに本経を含む般若経典には虚無主義・厭世主義という印象を持たれる方が多いと思います。しかし否定の否定(二重否定)が強い肯定を表わすように『理趣経』は密教の精神である生命の肯定を表わしています。
さて『理趣経』には「セックスを肯定したお経である」という印象を持つ方がいます。それは経文の表面をただ眺めるからで本質は世俗の欲望を超えた大楽の道を示しています。
本書では『理趣経』の歴史的な背景そして深層を解説し、ありのままの生命を肯定する密教の精神が説かれています。
現代では個人の欲望が肯定されます。しかし多くの人は我欲に振り回されることに疲れているはずです。いま一度『理趣経』に説かれている大楽(欲望を超えた欲望)を見直す時なのかもしれません。(2025/02/28)
『悲華経』文庫化リクエスト
曇無讖(どんむしん)訳
もう一つの白蓮華
“白蓮華”と名がついたお経といえば『妙法蓮華経(白蓮華のような正しい教え)』が有名です。そしてもう一つの白蓮華の名がついたお経といえば本経『悲華経(白蓮華ような大悲の教え)』でしょう。
本経は浄土三部経とは逆に“穢土成仏”を説いています。それは浄土に産まれることが可能なのにあえて穢土を選んだ釈尊の大いなる慈悲が賛嘆されています。その様は壮絶の一言で優しい方は気分が悪くなるかもしれません。
とはいえ浄土の素晴らしさを知るためには穢土の悲惨さを知る必要があります。法然や親鸞が著書で再三引用したのもそのためです。
『妙法蓮華経』と並ぶ白蓮華(正法)『悲華経』を一度は読んでみましょう。(2025/02/23)
反復
キルケゴール 著 / 桝田啓三郎 訳
追憶から反復へ
コンスタンティヌス(キルケゴール)によれば後方(過去)に向かうのが「追憶」で前方(未来)に向かうのが「反復」です。
かみ砕いていうなら苦しみや悲しみを受け入れつつ未来に向かって生きるということになでしょうか。本作ではコンスタンティヌスが青年の恋を通して「追憶」から「反復」への転換は可能を実験しているといえます。
いかなる結論が導かれるかは読者に委ねますが、本作を通してキルケゴールが「反復」したのはレギーネとの悲恋です。そういう意味で本作は『誘惑者の日記』の続編といえます。そして『反復』以後『不安の概念』や『死にいたる病』を書き上げますから彼は「反復した」といえるでしょう。
さて訳者は日本を代表するキルケゴール研究者で文庫版は翻訳と解説書を兼ねているといえます。実存文学の最高峰を名訳でお楽しみ下さい。(2025/02/16)
浄福なる生への導き
J.G.フィヒテ 著 / 高橋亘 訳 / 堀井泰明 改訂・補訳
浄福と生
「なぜ私は不幸なのか」あるいはそこまでいかなくても「私はもっと幸福になれないか」と考える人は多いでしょう。
フィヒテによれば「本来『浄福(幸福)』と『生(存在)』は一致しているのにそれに気付いていないから」となります。そして明晰な思考でこの真理に到達する方法が説かれます。
さて本講話に限らずフィヒテの講話(『ドイツ国民への講話』など)は観念的・理想論的な傾向があります。そして何よりも彼の議論はキリスト教を前提としています。非キリスト教徒にとって取っ付きづらいのも事実でしょう。
とはいえ仏教の仏性論にも通じる彼の議論は、(私も含め)つい他人のあら探しや否定に終始する現代だからこそ輝くものです。人間の善性・理性を信頼したフィヒテの宗教論に耳を傾けましょう。(2025/02/01)
密教経典 大日経・理趣経・大日経疏・理趣釈
宮坂宥勝
密教の入口と実践
本書には密教の入口である『大日経』の住心品(序章)とその解説『大日経疏』第3巻まで。実践・功徳を説いた『理趣経』と解説『理趣釈』が収録されています。
本来、密教の奥義は師について学ぶべきものですが、「生きとし生けるものはすべて尊い存在である(即身成仏)」という精神。その真理に達するための「自分の心を知る(如実知自心)」という方法は学べます。
さて現代は高度情報化社会と呼ばれます。しかし実は自分のことすら知らないのが凡夫(凡人)である我々の実状です。今こそすべてを包括して理解する密教の精神を学ぶときなのかもしれません。(2024/12/28)
現代の批判他一篇(岩波文庫 33-635-4)
セーレン・キルケゴール著 桝田啓三郎訳注
キルケゴール入門
「とりあえずキルケゴールの著作を読みたい」という方は本作を読むのが一番だと思います。分量も少なく現在でも優れた現代・大衆批判です。一般にキルケゴールの著作は人を寄せ付けない嫌いがありますが、本作は比較的読みやすい(しかし1度や2度では歯がたたない)でしょう。
さて『二つの時代』の文芸評論という形であぶり出された“現代”の姿は「分別(情報)はあるが情熱のない時代」になります。それはSNS時代の現在においてますます加速しているかもしれない。政治家・芸能人の発言や行動で一時期的に“炎上”するものの、それは半年もしないうちに有耶無耶になる。そしてそしてあれほど騒いだ事件の顛末がほとんどの大衆は気にもしない。
歴史初のマスコミ被害ともいうべき「コルサル事件」の被害者であったキルケゴールは身に染みたことでしょう。後にヤスパースやハイデッガーもキルケゴールの現代批判を継承します。
最後に国際報道などで「各国で極右・原理主義者への傾倒が見られる」と分析されることがあります。一見するとキルケゴールの指摘とは反対ですが、むしろ大衆は極右・原理主義へ均質(水平)化してるといえるのかもしれません。彼は『死にいたる病』をはじめ「信仰(神)と向き合うことで責任ある個人になれ」と説くのですが、神無き現代に可能なのか。現代でも彼の現代批判は普遍です。(2024/12/19)
ティマイオス
プラトン 著 / 土屋睦廣 訳
宇宙から人体へ
プラトンの主著は質・量ともに『国家』でしょうが、影響力では『ティマイオス』が勝っています。
その内容はこれまでの著作と異なり神話的・オカルト的色彩が強く続編の『クリティアス』は未完に終わり『ヘルモクラテス』に至っては書かれずじまいです。
訳者解説の「もっともらしい言論」で言論の不安定さ・議論レベルの相違が指摘されてますが、これがプラトンが未完成に終わらせた原因かもしれません(そして長い間文庫化されなかった)。
しかし造物主デーミウールゴス(以下、長音略)がユダヤ教やキリスト教の唯一神と同一視され創造の神秘と説いたと考えられ、逆にグノーシス主義ではデミウルゴスこそ真の創造主と説かれました。また現代でもデミウルゴス、アトランティス、オリハルコン(アダマース)とオカルトや創作に生きています。
最後に講談社学術文庫版について述べると読みやすい文体で、読者が躓くであろう部分に解説が施されているように思えます。『クリティアス』が収録されていないことが残念ではありますが、プラトンの名著が文庫で読めるようになったのは画期的です。(2024/12/14)
原典復刊 ほうれんそうが会社を強くする
山崎富治
"ほうれんそう"を育てよう
「ほうれんそう(報告・連絡・相談)は大事だ」と1度ならず指導や研修を受けたでしょう。しかし元々社員でなく経営者の指針だったと知る人は少ないでしょう。
著者によれば「自分は浅才な経営者であり、経営を円滑に進める上で社員の叡智を結集する必要があった」と開発経緯を述べています。
さすがに初版が40年前のこともあり事例が古かったり終身雇用を前提とし現代に合わない部分はあります。しかし非正規労働者が増えた現代だからこそ社員の情報共有、"ほうれんそう"がスムーズに行える風通しのいい環境作りは必須と言えます。
最後に出版社の前書きからもわかるようにハラスメントやコンプライアンス違反など企業不祥事は後を絶ちません。とくに2023年は50・100年に1度レベルの不祥事が次々と明らかになりました。いま一度、土壌(企業風土)を見直して下さい。このままでは"ほうれんそう"どころかあなたの会社が立ち枯れてしまうかもしれません。(2024/09/07)
お地蔵さま
伊藤古鑑
南無、地蔵願王尊
本書では地蔵歎偈から地蔵三部経をはじめとした経典、そして霊験記や地蔵和讃と原典に忠実にそれでいてレベルを下げすぎず地蔵菩薩の偉大さを描いています。
読み進めていくうちに願王(悲願の王)と呼ばれる由縁が理解でき、お地蔵さまへの感謝も深まるはずです。
どうかお地蔵さまを見かけたら「南無地蔵菩薩」または「おん・かかか・びさんまえい・そわか」と唱えて下さい。六道の衆生を救うお地蔵さまにとって何よりの供養となります。(2024/09/05)
普勧坐禅儀講話
原田祖岳
とにかく坐禅しろ
坐禅の神髄を謳った文章は多々ありますが、白隠の「坐禅和讃」と道元の「普勧坐禅儀」が二大巨頭でしょう。
とくに「普勧坐禅儀」が道元が帰朝して初めて明らかにした文章であり、日本の坐禅はここから始まるといっていいのかもしれません。内容は人間の本質から、仏教(禅宗)の歴史、坐禅のやり方・心構えなど多岐に渡ります。しかし日本を代表する曹洞宗の僧であった著者が簡潔に説いておりますので、読み通せると思います。
最後に道元は「只管打坐(ただ坐禅せよ)」を唱えました。この「タダ」の奥深さ・難しさは本書の中で何度となく書かれています。しかしそれに臆することなく1日5分や10分でも、ぜひ坐禅を取り入れていただきたいです。道元の地平へ必ずたどり着けるはずです。(2024/08/07)
慈経/宝経/吉祥経 祝福や息災祈願に唱える3つの「護経(パリッタ)」を読む
アルボムッレ・スマナサーラ
仏教の修行・実践
護経(パリッタ)は大乗仏教の真言(陀羅尼)や念仏に相当するものです。仏教の実践が具体的に説かれています。
内容は「正しく観察しよう」とか「生きとし生けるものを慈しみましょう」など単純です。人によっては「きれい事」「理想論」と切り捨ててしまうかもしれません。ただ「素直に現状を受け止め、いまできることをしましょう」とも書かれています。
本書では1節(偈)ずつパーリ語原文・カタカナ表記・日本語訳が付き、さらに解説もされています。また巻末には対訳で経文が乗っています。単純ではありますが奥深い。1日1日読み進め実践していきましょう。(2024/08/04)
大乗仏典 15 世親論集
長尾雅人 梶山雄一 荒牧典俊 訳
まず識より始めよ
龍樹をはじめとする中観派が言語(既成概念)の解体を通して執着からの解放(覚り)を目指したとするならば、世親たち瑜伽行唯識派は覚りや修行段階の言語化を目指したといえるでしょう。
彼らが取った手法は唯識すなわち「物事を認識している私はとりえず存在する」と認めることでした。それはデカルトの「コギト(我考える)」やフッサールの「判断中止(エポケー)」に通じる部分があります。
さて本書には世親による他派への反論である『唯識二十論』、『唯識三十頌』のスティマティ(安慧)の注釈『唯識三十論(釈)』、『三性論』と訳者・長尾氏の注釈と唯識の代表的な論書が収録されています。とくに中観と唯識の止揚を目指した『中辺分別論』が重要です。
講談社学術文庫『世親』と合せて読むことで唯識への理解が深まるはずです。(2024/07/27)
大乗仏典 14 龍樹論集
梶山雄一 瓜生津隆真 訳
言語習慣の解体
龍樹は釈尊以後最大の理論家といえます。彼は大乗仏教の二大柱・中観(空観)を完成させました。彼が中観を通して訴えたかったものは何でしょう。
それは言語習慣(既成概念)の解体といっていいかもしれません。例えば「日本人」「共産主義者」など言葉を聞く発生するイメージがあるでしょう。そのイメージは適切でしょうか。あなたが勝手に作り上げた像ではないでしょうか。そしてその像が自縄自縛を引き起こしてはいないでしょうか。
龍樹は主著『中論』をはじめ「否定する対象が存在しないのだから否定しようがない」など言葉遊びのような言い回しで言語の解体を促します。独特の言い回し故、虚無主義や否定主義のレッテルを貼られましたが、何々主義からの解放こそ彼の望みです。
さて本書に『中論』は含まれていませんが、中観関連の論書、道徳書が収録されています。講談社学術文庫『龍樹』と合せて読むことで中観の理論・実践が理解できるはずです。(2024/07/26)
白隠禅師坐禅讃講話
原田祖岳
衆生本来仏なり
坐禅の真髄を説いた書物は多々あれど真っ先に上げるべきは道元の『普勧坐禅儀』と白隠の『坐禅讃(坐禅和讃)』でしょう。
坐禅讃の歌い出しは「衆生本来仏なり」ですが「最初から仏ならばなぜ坐禅などするのか」と思われるかもしれません。本書は120ページほどの小著ですが、坐禅ににおける疑問や功徳・真髄が無駄なく説かれています。
まずは何より坐禅(あるいは白隠禅師の内観法)を始めるべきですが、時には禅師の坐禅讃を読み返してください。坐禅への熱意が強くなります。(2024/07/23)
古代インドの神秘思想
服部正明
ウパニシャッドの本質へ
『ウパニシャッド』は古代インド思想の頂点でありヨーガや仏教にも肯定・批判的に受け継がれています。その重要性は疑うまでもないでしょう。
とはいえ素人が教典を読み通す並大抵ではありません。本来なら師について学ぶものですが、いい概説書がほしいところで、本書はその標準といえます。
さて本書ではウパニシャッドの研究史を眺めつつ、『ブリハッド』『チャーンドギヤ』『カウシータキ』など初期の主要ウパニシャッドの記述から本質に迫っていきます。
祭祀・儀礼からいかに高度な哲学が生まれたのか、なぜそのような思想が必要なのか理解できるはずです。(2024/07/19)
読書と人生
三木清
読書論の古典
現在はリスキニング(再学習)がささやかれています。そのためのアプリなど学習ツールも配信・販売されていますが、何よりも読書が基本でしょう。
さて著者は「学生時代のうちに読書の習慣をつける」よう書いています。また何を読むか・どのように読むか、簡潔ではありますが手堅くまとめられており読書論を学ぶ上で古典(スタンダード)といえます。
また読書論を超えて、師である西田幾多郎そしてハイデッガー(ハイデッゲル)など知識人との交流と知的好奇心を満たしてくれるでしょう。(2024/07/18)
『学処集成』文庫化リクエスト
シャーンティデーヴァ(寂天) 著 / 佐々木一憲 訳
菩薩行の教則本
起心書房ハードカバー版のレビューです。
著者シャーンティデーヴァ(寂天)の主著は何といっても『入菩提(菩薩)行論』(以下BCA)でしょう。一般に『学処集成』(以下SS)の要約であるBCAが用いられますが(この点、親鸞の『教行信証』と『歎異抄』の受容に似ています)、寂天自身BCAの中で「詳しくはSSを読むように」と勧めています。
さてSSの内容は菩薩行の教則本と言っていいでしょう。多くの経典を引用しつつ菩薩の心構え・修行法を説いています。凡夫には難しい部分が多々ありますが、読み進めていくうちに心が浄化されるようです。
さてチベット仏教への関心からBCAそしてSSが注目されるようになりましたが、日中では漢訳である『大乗集菩薩学論』の出来の悪さもあってかあまり注目されることはありませんでした。サンスクリット語原典からの直訳である本作を通し大乗仏教(とくに中観派)の精神・行を学びましょう。(2024/07/08)
法華経物語(岩波現代文庫 学術315)
渡辺照宏
法華経の古層
鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』は『般若心経』の次ぎに日本で読まれたお経でしょう。しかし何度となく読み進めるとその内容や構成に違和感を覚えると思います。
本書は『妙法蓮華経』はもちろん他2種の漢訳、サンスクリット語原典はもちろんチベット語テキストなど各種テキストを比較して法華経の古層を明らかにしています。その過程で様々な経典をまとめ1つのテキストに構成されたことが明らかになります。
さて入門書とされる本書ですが、初心者向けに書かれているとはいえ上級者・研究者も満足できる内容になっています。既存の解説書では満足できない方におすすめです。(2024/04/28)
孟子 全訳注
宇野精一 訳
『孟子』読むなら
『孟子』は儒教の聖典・四書の一つであり、孔子と並ぶ聖人・孟子の言行録です。『論語』とともに読んで損はありませんが『論語』ほど現代語訳や解説書が充実していないのも事実です。
本書は集英社「全釈漢文大系」を底本としており訳者も日本を代表する中国哲学者であった宇野氏で現代語訳も確かです。構成は章ごとに書き下し文・現代語訳と続き、原文は章末に返り点付きでまとめて掲載されています。
(おそらく分冊にしないための工夫なのでしょうが)訳注がないのが気になりますが、一巻本で気軽に読めますし『孟子』を手に取ろうという方におすすめです。また同文庫には吉田松陰による解説『講孟箚記』も収録されていますので、合せて読むといいでしょう。(2024/04/16)
不動明王(岩波現代文庫 学術285)
渡辺照宏
不動明王とは何者か
不動明王とは何者か。著者はインド文化に即しながら論じています。
その過程で日本文化に根付いた不動信仰、真言密教の豊穣さが余す所なく理解できるはずです。(2024/02/28)
弥勒信仰 もう一つの浄土信仰
速水侑
弥勒の浄土から弥陀の浄土へ
日本で「浄土」といえば阿弥陀如来の西方浄土を思い浮かべる方がほとんどだろう。しかしかつては弥勒菩薩の上生・下生思想(釈迦入滅後、56億7千万年後に弥勒が下天する)から生まれた弥勒の浄土信仰が存在した。
本書ではインドで発生し中国・朝鮮から日本に弥勒信仰が伝わったか、いかなる変遷を経て、法然・親鸞の阿弥陀信仰に取って代わられたかが手堅くまとめられている。
現代の信仰についてはまとめられていないが、その点は著者も述べるように宮田登著『ミロク信仰の研究』などでカバーできる。
厭離穢土(現世否定)とは異なる現世肯定を説いた弥勒信仰の魅力を堪能してほしい。(2024/02/26)
道徳的人間と非道徳的社会
ラインホールド・ニーバー 著 / 千葉眞 訳
良心と権力
昨年(2023年)は10年に一度あるいは100年の一度の不祥事が次々と明らかになりました。
このような企業の不祥事が起こる度、成員の知識や権限が問題にされます。いわく「マニュアルが徹底されていなかった」「監査部門の機能していなかった」などです。そして「コンプライアンス教育を徹底する」「監査部門を強化する」など対策が行われます。しかしそのようなことで防止はできるのか。
そしてニーバーは個人は自分と同じように相手を理解できないし配慮もできない。また組織の強制力(権力)は個人の良心を容易く凌駕する。さらに指導者の良心が成員に暴力的に働くことがあると明らかにします。
ニーバーの分析に容赦はありません。しかし改善する努力そのものは評価しています。
ニーバーが1960年の序文でいうように本作には古くなった部分が多々あります。しかしその分析は古びておらず、もしかしたら個人と社会の相剋はいっそう強くなっているかもしれません。いま一度ニーバーの言葉に耳を傾けましょう。(2024/02/25)
暮らしのなかの仏教語小辞典
宮坂宥勝
日本語に溶け込む仏教語
同著者『仏教語入門』の新装版です。
覚悟や我慢など有名ですが、旗や瓦も仏教語由来で驚きます。
一単語が1ぺーじにまとめられておりますのでペラペラとめくっているだけで楽しめます。
日本語に根付く仏教の精神を学びましょう。(2024/02/11)
コーラン 全三冊 (中)
井筒 俊彦
コーランを読むなら
イスラームの影響は日に日に強くなっていますから「コーランを読みたい」と考える方は多いでしょうね。
アラビア語との対訳も出ていますが、日本語で読みたければ岩波文庫の井筒訳をおすすめします。とくに井筒氏は『「コーラン」を読む』という最良の副読本を著わしていますから日本人にもイスラーム文化を理解できるはずです。(2024/01/21)
コーランを読む
井筒俊彦
イスラームの扉を開く
ある文化を理解する上で、その聖典を読むことが重要である。とくにイスラーム文化圏の影響は日に日に強くなっていますから「『コーラン』を読みたい」と考える方は多いでしょう。しかし著者がいうように日本人にとって時間的・空間的に離れた『コーラン(クルアーン)』を理解することは無理があります。
著者は岩波文庫版『コーラン』の日本語訳を手がけ、祈祷文であり序章「開扉」の章を10回のセミナーで解釈学的思考を用いて読み解く様は圧巻の一言です。
井筒氏以後も『コーラン』の日本語訳・解説は存在しますが、氏ほど読み込んだ方はいないかもしれません。本書を通し『コーラン』の扉を開きましょう。(2024/01/17)
ドイツ国民への講話 <近代社会思想コレクション 35>
フィヒテ 著 / 山脇直司 監訳 / 栩木憲一郎 訳
激動の時代の人材教育
本講話は一般的に「ドイツ国民に告ぐ」で知られています。
ナポレオン率いるフランス軍の監視の下、講話は開かれました。フィヒテ自身死も覚悟していたといいます。
さて内容はいたずらにナショナリズムを煽るのではなく、あくまでも人間の理性・良心に訴えました。出版の自由、言語教育、それらを統括する国家のあり方など普遍性・先見性が見えます。
当時から理想主義的な国家論に批判があったようですが、フィヒテが訴えるように激動の時代に必要なのは何よりも自律的な人材です。現在の日本は占領下ではありませんが、不安定な世界情勢、そして2024年の能登半島地震と混迷の中にいます。いま一度フィヒテの声に耳を傾ける時なのかもしれません。(2024/01/08)