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大絶画さんの公開ページ レビュー一覧 3ページ

レビュー

  • 『維摩経』を読む(岩波現代文庫/学術320)

    長尾雅人

    逆説を超えて

    『維摩経』は大乗仏教の初期に成立した経典です。
    ドラマ仕立ての構成や逆説(パラドキシカル)的な論説と禅宗をはじめ現代においても人気の高い作品です。
    解説書も多いですが、本書ほど「わからない部分はわからない」と率直に向き合った著作は少ないでしょう。
    1999年にサンスクリット原典が発見され現在はその現代語訳も刊行されていますが、本作の価値も廃れていません。真摯に『維摩経』と向き合いたいという方にお勧めです。(2023/02/03)

  • 新潮日本古典集成 新装版 金槐和歌集

    樋口芳麻呂 校注

    無垢な詩魂

    鎌倉右大臣・源実朝の和歌集。
    「作品と作者は別」と考える方もおられるでしょうが、本作に関しては無視できないでしょう。
    源頼朝の次男である筆者は武家の代表であり同時に歌人でもありました。定家の指導を受けつつ歌の才能を開花させていきます。
    歌の多くは万葉集、古今集、新古今集から直接の影響を受けた(数句だけ取り替えただけのものもある)ものが大半ですが、中には実朝の独自性が発揮されたものもあり正岡子規や斎藤茂吉から絶賛されたのも納得です。
    本書は確認できる実朝のすべての和歌が収録されており注釈も問題ないと思います。実朝の詩魂に触れましょう。(2023/01/26)

  • 一言芳談

    小西甚一

    死を見つめて

    現代人は生を中心として物事を捉えていたのに対し、中世の人々は死を中心に物事を捉えていたのかもしれません。それは死が身近であり、いかに死ぬか(往生するか)は重要事でした。
    そして学識も修行も必要なく一心に念仏を唱えることで往生できるという専修念仏の教えはどれほど当時の人々の救いになったでしょう。私の家は真言宗ですが、本作の言葉は心に響いてきましたし、自宗を見直すきっかけになりました。
    さて2019年から始まった新型コロナ感染症で現代人も再び死が身近になったように感じます。いま一度、生と死を焦点とした楕円思考(末木剛博著『東洋の合理思想』参照)で物事を捉え直す時期に来ているのかもしれません。なぜなら現代人も「死」を避けられないのですから。(2023/01/06)

  • 大乗仏典 2 八千頌般若経 I

    梶山雄一 訳

    般若経の基礎

    代表的な般若経典といえば『般若心経』でしょう。大きいな本屋に行けば10や20関連書籍が置いてあります。しかし本文が短い分、内容は難解です。解釈も読み手の数だけ存在する。下手に手を出すと混乱を深めます。
    その点、『八千頌般若経』は般若経の中でも初期に成立したとされ空の論理や功徳が過不足なく解説されており、般若経や空観を理解する上で最適です。
    もちろん(読誦するだけ功徳があるとはいえ)本書を通して八正道や十善戒を実践していただきたいです。(2022/11/05)

  • 寒山詩 <禅の語録 13>

    入谷仙介 松村昻

    清濁(聖俗)併せ呑む

    古来より「禅の奥義が含まれている」と重用された作品です。
    しかし実際に読んでみると女性や酒への言及もあり「清濁併せ呑む」といった印象です。しかし仏教(禅)は差別の超克を目指しますから俗っぽい部分も必要なのかもしれません。
    訳者自身「自分は漢詩の専門で禅の解説はできない」とおっしゃっていますが、その分ニュートラルな視点で詩を楽しめます。
    あなたは詩から何を読み取るでしょう。(2022/10/28)

  • 般若経 空の世界

    梶山雄一

    般若経の誕生・発展

    本作は「般若」や「空」の概念を説明するというよりは、仏教史においていかに般若経が誕生し発展したかを描くことにあります。
    内容も専門家向けではありますが『維摩経』や『八千頌般若経』など般若経典への言及も取っ掛かりになると思います。(2022/10/27)

  • マヌ法典

    渡瀬信之 訳注

    ダルマ(生き方)

    カースト制度をはじめ、女性や病人への差別など負の側面も大きいです。
    しかし一貫しているのは、その人に合った生き方をしようという態度です。
    また「肉体は滅びても正義は残る」(8-17)などハッとさせられる条文も多く、インドの叡智に触れる喜びを味わえます。
    まずは序章の創造神話をお読みください。法律、道徳云々を抜きにして引き込まれます。(2022/10/10)

  • 神の詩 -バガヴァッド・ギーター

    田中嫺玉 訳

    まさに神の詩

    『ギーター』にはヒンドゥー教の奥義が凝縮されており、多くのインドの聖人が愛読してきました。
    主として学者による精密な訳が存在します(これ自体は称賛すべき行為です)が、詩歌として伝わってきたであろう『ギーター』の精神を味わうためには、何よりも美しい日本語で読む必要があります。
    そういった意味で田中氏の翻訳は『ギーター』の精神がダイレクトに伝わってきます。最初に読むなら田中訳をお勧めします。(2022/10/10)

  • デカルト的省察

    フッサール 著 / 船橋宏 訳

    フッサールの挑戦

    現象学の目的とは何か?それは盤石な基礎の上に厳密な学を打ち立てることといえるでしょう。
    そのために近代哲学の始祖デカルトの「われ思う、ゆえにわれあり」という思考を取り上げるのは当然といえます。「われ思う」から「われあり」の跳躍はいかに可能なのか?そして汝の存在とは?
    読み進めていくうちに自然と現象学の論理が理解できるでしょう。(2022/10/01)

  • 人間学 <カント全集 15>

    渋谷治美 高橋克也 訳

    カント入門に

    本作は20年以上続いた講義が下になっています。
    博識ぶり、ユーモア、政治意識そして人間への関心とカントのも特性・問題意識がよく表われています。
    カント哲学を理解する上で三大批判や『プロレゴーメナ』や『人倫の形而上学の基礎づけ』など基礎編・入門編から入るのもいいですが、哲学者カントから入るもの一つの道です。本書ほど哲学者カントを表わした著作もないでしょう。(2022/10/01)

  • カント全集 11 人倫の形而上学 <岩波オンデマンド>

    樽井正義 池尾恭一 訳

    カント倫理学の到達点

    『人倫の形而上学の基礎づけ』、『実践理性批判(人倫の形而上学の基礎)』と続いたカント倫理学もここに完結します。
    本書は法論(外的義務論)と徳論(内的義務論)に分かれます。内容も言葉遣いは難しいですが、土地の権利取得や死後の名誉の扱い方など現実の問題が扱われ三大批判に比べれば取っ付きやすいでしょう。
    カントといえば「小難しいことを考える人」というイメージを持つ方も多いでしょうが、それは現実の問題を考える上で堅実な基礎を求めたからです。
    カント哲学を理解するならば哲学者カントの理解が必要です。(2022/09/24)

  • 「ヒューマニズム」について パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡

    マルティン・ハイデッガー 著 / 渡邊二郎 訳

    存在論的人間学の試み

    ハイデッガーは『存在と時間』から存在論に裏打ちされた人間論の構築を目指していました。しかし彼自身、その仕事の大きさ・深さに圧倒され『存在と時間』は未完に終わりました。
    しかしハイデッガーの思索は生涯止むことはなく、本書で新たな「ヒューマニズム」の構築を唱えています。それは存在論的人間学あるいは存在論的倫理学と読んでいいでしょう。
    本作は『形而上学入門』とともに後期ハイデッガー哲学入門編というべき作品です。論文調で比較的読みやすいです。(2022/09/18)

  • 貞慶 『愚迷発心集』を読む 心の闇を見つめる

    多川俊映

    徹底した自己凝視

    大乗仏教の多くの宗派はすべての存在が仏になると説きます。しかし法相宗のみが仏になれない存在がいると説きます。
    もちろんこれは意地悪しているのではなく徹底した人間観察から生じます。そして日本法相宗を代表する貞慶もまた人間の愚かさを描きます。
    『愚迷発心集』という題も人間の「愚迷」を見つめ、神仏の慈悲にすがり「発心」せよということです。
    貞慶の自己凝視は苛烈に思えますが、その先に清冽な世界が広がっていきます。(2022/09/07)

  • 新訳 実存哲学

    カール・ヤスパース 著 / 中山剛史 訳

    現実を生きる存在(実存)

    哲学とくに実存哲学は、現実を生きる我々を探求しているといえます。
    ヤスパースの『実存哲学』は主著『哲学』や『真理について』の要約ともいえる内容で「包括者」や「哲学的信仰」といった独自の術語も登場します。しかしただ概念をこね回すのではなく、現実を生きる私たちを描く上で必要だったといえます。
    さて本書の付録にはサルトルの「実存主義とは何か」への言及があります。サルトルは「実存は本質に先立つ」と人間は自由な存在、自らを作り上げることができると説きました。ヤスパースは超越者(神)のメッセージ(暗号)を解くことを説き対称的といえますし、サルトルについて批判的な見方をしています。
    しかし我々自身、現実を生きる存在であることに変わりはありません。ヤスパースの問いは古くそして新しいといえるでしょう。(2022/07/02)

  • ニーチェ -彼の〈哲学すること〉の理解への導き

    カール・ヤスパース 著 / 佐藤真理人 訳

    <哲学すること>とは

    ニーチェほど安易に語られた思想家はいないかもしれません。
    「神は死んだ」「深淵を覗く時~」など彼の言葉は魅力的です。しかし特定の言葉に注目されある一面ばかり強調されニーチェの全体像は見えづらくなります。
    ヤスパースの『ニーチェ』は、ヤスパース自身ニーチェの思想を血肉としているだけあって、彼の全体像を余すことなく描いています。本書が<哲学>の解説ではなく<哲学すること>の解説になっていますが、ヤスパースが自己存在をかけてニーチェと格闘しているからでしょう。読み進めうちに自然と<哲学すること>が身につくと思います。
    最後に訳者の佐藤氏に触れます。日本語として自然な訳文や、氏の<哲学すること>を表した訳注はもちろん、膨大な引用箇所が素晴らしい。ヤスパースはクレーナー社判から引用していますが、現在はグロイター社判(KSA)が使用されます。そこで本書ではKSAの該当箇所を示しています。データベースなど利用可能だったとはいえその労力は凄まじいものだったでしょう。ニーチェの解説書は星の数ほどありますが、その中でも一層輝く作品だと思います。(2022/06/21)

  • 告白 I

    アウグスティヌス 著 / 山田晶 訳

    存在し、知り、意志する

    本作はキリスト教文学の金字塔です。
    山田訳の意義・価値については第1巻の「『告白』山田訳をもつということ」に尽くされています。あえて付け加えるなら山田氏ほどアウグスティヌスの信仰・信条に踏み込んだ訳者はいないでしょう。
    さらに第3巻には「世界の名著」版に収録されていた「教父アウグスティヌスと『告白』」が再録されており、こちらもアウグスティヌス入門だけでなく中世哲学入門になっています。
    そして講談社学術文庫『アウグスティヌス講話』を合わせて読むことで現代にも通じるアウグスティヌス神学の奥深さが理解できると考えます。(2022/04/25)

  • 新訳 不安の概念

    S.キルケゴール 著 / 村上恭一 訳

    深淵の前

    「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」と語ったのはニーチェであった。
    キルケゴールはニーチェとともに実存哲学の創設者とされる。キルケゴールがニーチェの著作に触れていた形跡はないそうだが、彼らが同じ問題を扱ったとしても疑問はないだろう。
    さて我々は深淵に触れる時“不安”を覚える。不安は恐ろしいものであるが、同時に自己存在を自覚する端緒となる。ハイデッガーが『不安の概念』を通して人間認識を深めたことは偶然ではないだろう。
    キルケゴールは不安と向き合うためにキリストへの信仰を説くのだが現代において時代遅れになってしまったのかもしれない。
    しかし現代ほど“不安”と向き合っている時代はないのかもしれない。現代人はつながりを求めSNSに泥酔しているが、これは根源的な“不安”を避けているからではないだろうか。
    さきにも書いたようにキルケゴールの解決法は時代遅れかもしれない。しかし彼の分析はけっして古びていない。デンマーク語原典からの翻訳である本書を通してキルケゴールに触れていただきたい。(2022/04/14)

  • 精神現象学 上

    G.W.F.ヘーゲル 著 / 熊野純彦 訳

    汝自らを知れ

    バートランド・ラッセルは「西洋哲学史はプラトンの解釈である」と述べたいう。そしてプラトンの思想を要約するならば「汝自らを知れ」の一言で表せるだろう。
    さてヘーゲルに先行するカントは『純粋理性批判』において理性の枠組みを示した。その後、フィヒテやヘーゲルらはいかにカントを超えていくか目指した。そして精神の発展を描いた『精神現象学』は一つの頂点を言っても過言ではないだろう。
    ヘーゲル以後もフォイエルバッハやマルクス、「カントに帰れ」と唱えた新カント派、ニーチェやキルケゴールなどの実存哲学など新たな発展があるがここでは割愛する。
    さて熊野氏の翻訳といえど、哲学書の中でも難解とされる『精神現象学』を読み解くのは難しい。しかし訳語を工夫したり小見出しを付けるなど工夫がされており初学者でも何とか読み通せるようになっている。ファーストチョイスにいいだろう。(2022/04/14)

  • 法の哲学 自然法と国家学の要綱 上

    ヘーゲル 著 / 上妻精 佐藤康邦 山田忠彰 訳

    血の通ったヘーゲル

    ヘーゲルに対しては血の通わない大理石の彫像のようなイメージを持っていました。
    ただこのたび岩波文庫『法の哲学』を読み現実と格闘するヘーゲルを知り、初めてヘーゲルもまた血の通った人間であると認識できました。
    本書では従来の訳語が踏襲されており、初めて読む方は戸惑うかもしれません。しかし意味不明と理解不能ということはないはずです。
    本作は「ヘーゲル入門編」として紹介されることも多くヘーゲル哲学を堪能できます。(2022/03/10)

  • 唯識の読み方 -凡夫が凡夫に呼びかける唯識

    太田久紀

    『成唯識論』入門

    空海様は『御遺告』の中で「三論(中観)と法相(唯識)を学ぶべし」と遺しています。真言行者に限らず中観思想と唯識思想は大乗教学の柱といっても過言ではありません。どの宗派に属するにしても中観と唯識を学ぶべきでしょう。
    さて中観思想が大乗仏教の存在論・論理学とするなら唯識思想は認識論・人間学です。悟りを得るためには何よりも自分を理解する必要があります。そしてそれは自らの愚かさとの向き合いです。
    本書では玄奘訳『成唯識論』を中心に人間を分析していきます。それはただ『成唯識論』を解説するだけでなく(かつての日本の学僧がそうであったように)テキストに拘泥することなく禅宗や浄土教、原始仏典を引用しつつ読み進めていきます。
    副題に「凡夫が凡夫に呼びかける」とありますが、凡夫である著者が凡夫である読者に呼びかけるということです。唯識思想を理解する上で相応しい一冊です。(2022/03/10)

  • カント全集 10 たんなる理性の限界内の宗教 <岩波オンデマンドブックス>

    北岡武司 訳

    第四批判

    本作は“批判(Kritik)”という言葉こそ入っていませんが批判精神に貫かれています。一部の学者は「第四批判」と呼びます。とくに序文の草稿を読むとなぜ「たんなる理性の宗教」ではなく「たんなる理性の“限界内の”宗教」なのか理解できます。
    さて本作の序文でカントは「道徳を守る上で人間以上の存在者を必要としない」と書いています。いわゆる無神論・無宗教と呼ばれる人でも道徳的・自律的な人間はいるわけです。そして悪は善の欠如ともいえます。カント自身、信条・心情的に断定は避けていますが、おそらく本作の出版がなかなか許可されなかったのも、この点が絡んでいるのでしょう。
    序文の中に「道徳は宗教にいたる」と述べていますが、これは学問的誠実さの表れであり、彼自身の思索過程そのものといっていいでしょう。彼の問いに対しフィヒテ、シェリング、ヘーゲルといった観念論者が答えていきますが、それはまた別のお話。(2022/02/26)

  • 『菩提心論』文庫化リクエスト

    龍猛(龍樹)造 不空訳

    即身成仏

    龍猛(龍樹)作の「菩提心論」は即身成仏(生身で悟りを得ること)を説いた論書であり、「釈摩訶衍論」とともに空海は自らの教学を築く際に参考にしました。
    テキストについては疑義があるものの、チベットにも同じく龍樹作とされる「菩提心の解明」という似た内容の論書が伝わっています。内容も優れており、けっして偽経と切り捨てていい論書ではありません。
    さて日本語で読む場合、関連論文も収録されている北尾隆心氏の『菩提心論の解明』(東方出版)が読みやすいと思います(私も本書から「菩提心論」に触れました)。(2022/02/09)

  • 弘法大師著作全集 第二巻

    勝又俊教 編修

    真言密教の奥義

    著作全集2巻には主に空海師による仏典解説(開題)が収録されています。
    そのほとんどが数ページで終わるものですが、簡潔に経典の本質が描写されているといえます。国訳(書き下し文)のみで慣れは必要ですが、読み通せると思います。
    さて本書の目玉は最後に収録された「宗秘論」と「秘蔵記」でしょう。どちらも真言密教の奥義が書かれていますが、とく「秘蔵記」は空海が師・恵果より賜ったあるいは弟子たちが空海の言葉を記したと伝えられています。
    真言行者ならば一読して損はありません。(2022/02/06)

  • 自省録

    マルクス・アウレリウス 著 / 神谷美恵子 訳

    厳しくも美しい

    本作はローマ皇帝アウレリウスの備忘録である。
    おそらく陣中などで書き溜められたためか前後の文章に脈絡はなく、また他人に見せることを想定していなかったのか難解な箇所も少なくない。
    しかしストア哲学者であった彼の言葉は鋭くまた重い。読み進めていくうちにハッとさせられる箇所は1カ所や2カ所では済まないだろう。
    ストア哲学の問題などについては訳者もあとがきで触れているが、それでも厳粛な美しさに見せられるものは多いだろう。(2022/01/16)

  • エピクテトス 人生談義 上

    國方栄二 訳

    耐えよ、控えよ

    宗教家の清沢満之氏の著作で紹介されており興味を持ちました。
    エピクテトスは後期ストア派の代表格であり、ストア派がストイック(禁欲的)の語源にもなったということで「徹底的に自分を痛めつける哲学」といったイメージを持っていました。しかしそれはいい意味で裏切られます。
    エピクテトスは「自然本性に従って生きよ」と説いています。これは自分の力がおよぶ範囲で精一杯生きれれば後悔することはないと考えていいでしょう。そして人知を超えた部分には必要以上に求めない。訳文の影響もあるのか、ストイックというよりはノビノビと生きているように思えました。彼は弟子たちに「耐えよ」・「控えよ」と教えたそうですが、エピクテトス哲学の要約といっていいでしょう。
    さて本書の中で度々、デルポイ神殿に掲げられていたという「汝自身を知れ」という標語が引用されます。自分を知っていれば困難にも「耐えられる」し適量で「控える」こともできる。現代は物質社会で情報社会です。物量に飲み込まれないためにもエピクテトス哲学を学ぶべきなのかもしれません。(2022/01/09)

  • 阿含経典 1 存在の法則(縁起)に関する経典群 人間の分析(五蘊)に関する経典群

    増谷文雄

    原始仏教の姿

    大乗仏教において「阿含経」は小乗(上座)仏教の範疇であり、取るに足らない教えされてきました。ところが文献学は進歩により、むしろ阿含経典にこそ釈迦の教えの原型(これを「原始仏教」と呼ぶことにします)があることが分かってきました。
    そして実際に阿含経を読んでみると、非常に合理(論理)的・現実的な教えが見えてきました。一部、専門用語があるとはいえ、その論理ができないということはないと思います。そしてその教えは反宗教的ですらあるかもしれません。
    さて増谷氏の翻訳は、一般に浸透した仏教用語はそのままに日常用語で読める翻訳になっていると思います。かなりの部分を「後世の加筆・増補が入っている」として削除されていますが(第2巻の佐々木氏の解説参照)、必要最低限の文章は揃っていると思いますし、何よりも文庫で持ち運べ便利です。内容の連続性はあるとはいえ自分の関心のある内容から読み始めていいでしょう。
    最後に大乗仏教との関連に触れます。「大乗仏教は釈迦が唱えた教えではないから仏教ではない」(大乗非仏説)という主張もあります。じっさい本書を読んでみると大乗仏教とは異なるイメージを持ちます。しかし中道の概念は存在しますし、当時から「自分たちだけ救われればいいのか」という主張も教団内にありました(第3巻「一人の道にあらず」)。煩雑になった嫌いはありますが、深化・発展した部分も多いように思います。(2022/01/06)

  • ファウスト 悲劇第二部

    ゲーテ 著 / 手塚富雄 訳

    読みやすく格調高い翻訳

    ゲーテの『ファウスト』の翻訳は多数存在します。一冊だけ選べといわれたら手塚訳を選びます。
    さて翻訳に求められるのは正確さ、それに原文が持つ雰囲気が日本後で再現されているかということでしょう。そして多くの場合、前者が重視され後者はおざなりになっていることが少なくありません。とくに文学作品を味わう場合、「日本語で読める」ことが最優先といっていいでしょう。あまたの翻訳の中でも手塚訳は正確さと日本語としての美しさを兼ね備えた例外といっても過言ではないかと思います。
    もちろん翻訳の最終版が1974年ですから、およそ半世紀を得ました。しかし古さを感じる部分はあっても、けっして古臭くはなっていないと感じます。(2022/01/06)

  • 三面大黒天信仰 新装二版

    三浦あかね

    浅きは深き

    私が三面大黒天を知ったのは開運グッズのCMか何かだったと思います。その時は「なんて浅い神様だろう」と思っていました。
    その後、本書と出会いインドに源流を持ち、日本で進化した仏であると知りました。「人間の要求を叶える浅ましい神様」といった印象でしたが、四弘誓願の1つ「衆生無辺誓願度(衆生の数は限りないがすべてを救おうという誓い)」を体現した存在といっていいのかもしれません。また写真や絵も多く、拝み方など仏教の知識がない方にも読み通せると思います。
    最後に三面大黒天の仏像の多くは明治の廃仏運動で所在不明になっているものが少なくないようです。本書の中にも「粗末に扱われていた仏像を綺麗にしたら参拝客が増えた」といった話が紹介されています。この機会に三面大黒天を見直す動きができればと思います。(2021/12/18)

  • 摧邪輪

    明恵

    信と行

    岩波書店刊『日本思想体系 鎌倉旧仏教』収録の「摧邪輪」のレビューです。本書には全3巻の原文が収録されていますが、書き下しは上巻のみです。しかし明恵房高弁の批判の要旨は書かれていると思いますので、参考にしていただければと思います。
    さて高弁の批判を一言で申せば「菩提心(利他心、信仰)の伴わない行(念仏)に意味はあるのか」に尽きると思います。この点について浄土教側の主張は「信仰があるから念仏を唱えるのだ」となるでしょう。
    しかし高弁の主張も浄土教側の経典である浄土三部経を根拠に展開されます。どちらが勝者か読者に判断を委ねますが、法然の高弟であり高弁と同年代であった親鸞にとって自らの存在意義を懸けた戦いであったことでしょう。
    親鸞は後に『教行信証』を著し、題名からも“教”えがあり“行”となり“信”仰を育み“証”(さとり)を得ると示しました。『教行信証』と同様『摧邪輪』も現代語訳する価値があると考えます。(2021/11/25)

  • 禅の心髄 無門関

    安谷白雲

    禅の心髄

    岩波文庫『無門関』だけで奥深さが理解できなかっため購入しました。
    解説も冗長すぎずシンプルですが、著者が禅行者であるためか実際に問答を挑まれているような気持ちになります。
    『無門関』の解説書は数多く出ていますが、“禅の心髄”を体現した一冊だと思います。(2021/03/08)

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