大絶画さんの公開ページ レビュー一覧 4ページ 公開ページTOPへ レビュー 新装版 世論と群集 ガブリエル・タルド 著 / 稲葉三千男 訳 群衆の時代に もう20年ほど前になります。それまで高校の授業などでパソコンに触れたことはありましたが、大学の生協でパソコンを買いインターネットに触れました。 そして漠然とではありますが「ネットが発達して世界中の人と触れ合えれば世界はよくなっていくだろう」と考えていました。 当時はネット社会を賛美するようなドラマが多かったと思います。 タルドが生きた19世紀の最新メディアは新聞です。世界初の新聞が発行されたのは17世紀で、その後フランス革命など多くの社会運動で世論形成に役立ってきました。タルドも私が漠然と感じていたことを(文字通り情報量は桁違いに小さいのですが)新聞に見出していたのかもしれません。 しかし光(希望)があるところには影(絶望)もあります。たとえばル・ボンは群衆の無秩序な力を恐れ、後世のリップマンは『世論』・『幻の公衆』でタルドのような理想に警鐘を鳴らしました。 話を現代に戻すとここ20年の変化を見ても、私たちがやり取りしている情報量は何桁も(何倍ではなく)上がっているといっていいでしょう。SNSや情報機器は発達し、これまで大手マスメディアなどが一方的に情報を配信するという状況は崩れつつあります。事故や事件が起きると視聴者がスマホで撮影したという動画が流れることも珍しくありません。 いっぽうで掲示板などで(自分も含め)利用者のごく一部とはいえ偏狭で高慢な意見を目にするたび暗い気持ちになります。 今後も私たちがやり取りできる情報量は飛躍的に上昇していくことでしょう。メディアへの対応を見直す意味で本作をはじめとするメディア論が古くなることはないのかもしれません。(2019/06/17) ユング心理学からみた子どもの深層 秋山さと子 死と再生の物語 この本を初めて読んだのは十数年前、学部生の頃だったと思います。その時は「成人式を迎えたら大人になるだろう」と漠然と考えていましたし、この本を読んだ後もその印象は大きく変わっていなかったと思います。 現在になって改めて読み直してみると、本書で紹介されている子供たちの再生の物語にあの時以上に圧倒されます。それは私自身が彼らのほどではないにせよ、再生の物語を紡ぎ出そうとしているからかもしれません。 詳細は述べませんが、私の現状は十数年前に考えていたほど明るくはなく、現在は立ち直ってきましたが何度となく死を考えてきました。 著者は「子供の気持ちを理解してよりよい大人になってほしい」と再三述べていますが、この言葉は教師やスクールワーカーなど子供と向き合う仕事をしている方だけに向けられているのではないと思います。 すでに再生を終えた方、いままさに再生に向かおうという方に読んでいただきたいです。(2019/03/25) 心理療法の光と影 A.グッゲンビュール・クレイグ 患者の立場から 本作は主にカウンセラー(心理療法家)の立場から書かれていますが、患者の立場で読んでも有益だと考えます。 本作にはカウンセラーに限らずソーシャルワーカー、ひいては弱者と向き合う人たちが陥りやすい様々な事例が紹介されています。 それは患者にとっても他人ごとではないでしょう。 私は足掛け3・4年カウンセリングを受けていました。 詳細は省きますが、当初は効果も高く自分でも「治ってきた」という実感があったのですが、徐々に通院することが苦痛になっていきました。 そこで数か月中断してはまた通院して…をくり返し、2年前のカウンセリングを最後に現在は通院していません。 完治したのか断定はできませんが、現在は多少の波はあるものの出勤日に出勤し、定時まで働けています。 あの時、私に起こったことを考えるならカウンセラーに「いんちき医者」の影を見ていたのかもしれません。とにかく「なぜ私がこんなに苦しいのに気付いてくれないのか」・「わざと治療を長引かせているのではないか」という気持ちでいっぱいでした。 いまだったら別の観点から見れるかもしれません。(2019/03/12) イエス ルドルフ・ブルトマン 著 / 川端純四郎 八木誠一 訳 イエスと出会う イエスの教えを知る上で、第一の資料は四大福音書でありましょう。しかし多く聖典がそうであるように、これらはイエスの死後、弟子たちがまとめ上げたものです。歴史的な事実が反映されていることは間違いないにして、一字一句事実が書かれているとよほどの原理主義者か狂人くらいでしょう。 そうでなくともキリスト教が2000年近い歴史を持っています。その間に福音書をはじめとするテキストに変化をもたらしたことは確実です。 本作も「ブルトマンの二次創作」と切り捨てることができる。しかし本作を読み直す度に新たな発見や新鮮な感動を覚えます。それは歴史と格闘し聖書の中からイエスの実存を紡ぎ出す成功しているからだと思います。本書を通して間近でイエスの教説を聴いているかのような感覚を覚える読者も多いのではないでしょうか。(2019/02/05) われわれ自身のなかのヒトラー マックス・ピカート 著 / 佐野利勝 訳 騒音の世界 本作を読む際は続編(解決編)ともいうべき『沈黙の世界』とあわせて読むことをお勧めします。より本作ひいては「現代」の本質が見えてくるかと思います。本レビューとタイトルは「沈黙の世界」を踏まえて「騒音の世界」としました。 「騒音」の害悪については『沈黙の世界』でも再三描かれることになります。 さてナチス・ドイツの登場はヨーロッパにおける最大級の悲劇でしょうが、しかし構成員の多くは悲劇を演じるには似つかわしくない平々凡々とした市民たちでした。 ピカートのよれば彼らは非連続的・非連関的な人間でした。彼らはある瞬間、残虐の拷問官であり、次の瞬間には誠実な窓口係にもなる。 またヒトラーは英雄ではなく大悪党ですらありません。ただ非連続・非連関を体現した存在でしかない。 彼らを作り上げたのはナチズム(国家社会主義)といった思想ではなく(そもそもピカートによれば思想ですらない)、ラジオに代表される現代文明でした。 ピカートが示す解決策とは…。 本作は終戦直後の1946年に刊行されました。そのためか「ドイツ人は~」といった言い回しが目立ち、ピカートの怒りがダイレクトに反映されています。 しかし彼が描く「現代」は70年経った現在でも有効です。「ラジオ」を「(インター)ネット」と置き換えれば自分にも当てはまると感じる方も多いのではないでしょうか。 最後にピカートの解決策に触れておきたいと思います。本作で現代文明から救われる解決策が示されていますが、おそらく当時でも実践できた方は少ないのではないでしょうか。それが『沈黙の世界』へとつながったのではないかと思います。 ピカートの現代文明批判に嫌悪感を覚える方も多いかもしれません。それを補って余りある価値が本作にはあります。(2019/01/29) 歴史における個人の役割(岩波文庫) プレハーノフ著 木原正雄訳 歴史に対して 歴史に対し二つの見方が可能であると思う。 一つは個人が歴史を築き上げていくという自由論的な見方、もう一つは歴史は個人の思惑とは関係なく流れていくという宿命(運命)論的な見方である。 著者のプレハーノフは後者の見方に重きを置きつつも「我々は宿命を実感する時、ある種の自由を感じる」と両者を止揚した見方に達する。彼の考えを要約するなら「英雄が歴史を作るのではなく、流れを体現したものが英雄となる」となるだろう。 私は原文を読んだことがないので断言はできないが、読みやすく格調の高い翻訳であると思う。小著ではあるが歴史ひいては自由を考える上で有益な作品である。(2018/05/21) 前へ 1 2 3 4 次へ
レビュー
新装版 世論と群集
ガブリエル・タルド 著 / 稲葉三千男 訳
群衆の時代に
もう20年ほど前になります。それまで高校の授業などでパソコンに触れたことはありましたが、大学の生協でパソコンを買いインターネットに触れました。
そして漠然とではありますが「ネットが発達して世界中の人と触れ合えれば世界はよくなっていくだろう」と考えていました。
当時はネット社会を賛美するようなドラマが多かったと思います。
タルドが生きた19世紀の最新メディアは新聞です。世界初の新聞が発行されたのは17世紀で、その後フランス革命など多くの社会運動で世論形成に役立ってきました。タルドも私が漠然と感じていたことを(文字通り情報量は桁違いに小さいのですが)新聞に見出していたのかもしれません。
しかし光(希望)があるところには影(絶望)もあります。たとえばル・ボンは群衆の無秩序な力を恐れ、後世のリップマンは『世論』・『幻の公衆』でタルドのような理想に警鐘を鳴らしました。
話を現代に戻すとここ20年の変化を見ても、私たちがやり取りしている情報量は何桁も(何倍ではなく)上がっているといっていいでしょう。SNSや情報機器は発達し、これまで大手マスメディアなどが一方的に情報を配信するという状況は崩れつつあります。事故や事件が起きると視聴者がスマホで撮影したという動画が流れることも珍しくありません。
いっぽうで掲示板などで(自分も含め)利用者のごく一部とはいえ偏狭で高慢な意見を目にするたび暗い気持ちになります。
今後も私たちがやり取りできる情報量は飛躍的に上昇していくことでしょう。メディアへの対応を見直す意味で本作をはじめとするメディア論が古くなることはないのかもしれません。(2019/06/17)
ユング心理学からみた子どもの深層
秋山さと子
死と再生の物語
この本を初めて読んだのは十数年前、学部生の頃だったと思います。その時は「成人式を迎えたら大人になるだろう」と漠然と考えていましたし、この本を読んだ後もその印象は大きく変わっていなかったと思います。
現在になって改めて読み直してみると、本書で紹介されている子供たちの再生の物語にあの時以上に圧倒されます。それは私自身が彼らのほどではないにせよ、再生の物語を紡ぎ出そうとしているからかもしれません。
詳細は述べませんが、私の現状は十数年前に考えていたほど明るくはなく、現在は立ち直ってきましたが何度となく死を考えてきました。
著者は「子供の気持ちを理解してよりよい大人になってほしい」と再三述べていますが、この言葉は教師やスクールワーカーなど子供と向き合う仕事をしている方だけに向けられているのではないと思います。
すでに再生を終えた方、いままさに再生に向かおうという方に読んでいただきたいです。(2019/03/25)
心理療法の光と影
A.グッゲンビュール・クレイグ
患者の立場から
本作は主にカウンセラー(心理療法家)の立場から書かれていますが、患者の立場で読んでも有益だと考えます。
本作にはカウンセラーに限らずソーシャルワーカー、ひいては弱者と向き合う人たちが陥りやすい様々な事例が紹介されています。
それは患者にとっても他人ごとではないでしょう。
私は足掛け3・4年カウンセリングを受けていました。
詳細は省きますが、当初は効果も高く自分でも「治ってきた」という実感があったのですが、徐々に通院することが苦痛になっていきました。
そこで数か月中断してはまた通院して…をくり返し、2年前のカウンセリングを最後に現在は通院していません。
完治したのか断定はできませんが、現在は多少の波はあるものの出勤日に出勤し、定時まで働けています。
あの時、私に起こったことを考えるならカウンセラーに「いんちき医者」の影を見ていたのかもしれません。とにかく「なぜ私がこんなに苦しいのに気付いてくれないのか」・「わざと治療を長引かせているのではないか」という気持ちでいっぱいでした。
いまだったら別の観点から見れるかもしれません。(2019/03/12)
イエス
ルドルフ・ブルトマン 著 / 川端純四郎 八木誠一 訳
イエスと出会う
イエスの教えを知る上で、第一の資料は四大福音書でありましょう。しかし多く聖典がそうであるように、これらはイエスの死後、弟子たちがまとめ上げたものです。歴史的な事実が反映されていることは間違いないにして、一字一句事実が書かれているとよほどの原理主義者か狂人くらいでしょう。
そうでなくともキリスト教が2000年近い歴史を持っています。その間に福音書をはじめとするテキストに変化をもたらしたことは確実です。
本作も「ブルトマンの二次創作」と切り捨てることができる。しかし本作を読み直す度に新たな発見や新鮮な感動を覚えます。それは歴史と格闘し聖書の中からイエスの実存を紡ぎ出す成功しているからだと思います。本書を通して間近でイエスの教説を聴いているかのような感覚を覚える読者も多いのではないでしょうか。(2019/02/05)
われわれ自身のなかのヒトラー
マックス・ピカート 著 / 佐野利勝 訳
騒音の世界
本作を読む際は続編(解決編)ともいうべき『沈黙の世界』とあわせて読むことをお勧めします。より本作ひいては「現代」の本質が見えてくるかと思います。本レビューとタイトルは「沈黙の世界」を踏まえて「騒音の世界」としました。
「騒音」の害悪については『沈黙の世界』でも再三描かれることになります。
さてナチス・ドイツの登場はヨーロッパにおける最大級の悲劇でしょうが、しかし構成員の多くは悲劇を演じるには似つかわしくない平々凡々とした市民たちでした。
ピカートのよれば彼らは非連続的・非連関的な人間でした。彼らはある瞬間、残虐の拷問官であり、次の瞬間には誠実な窓口係にもなる。
またヒトラーは英雄ではなく大悪党ですらありません。ただ非連続・非連関を体現した存在でしかない。
彼らを作り上げたのはナチズム(国家社会主義)といった思想ではなく(そもそもピカートによれば思想ですらない)、ラジオに代表される現代文明でした。
ピカートが示す解決策とは…。
本作は終戦直後の1946年に刊行されました。そのためか「ドイツ人は~」といった言い回しが目立ち、ピカートの怒りがダイレクトに反映されています。
しかし彼が描く「現代」は70年経った現在でも有効です。「ラジオ」を「(インター)ネット」と置き換えれば自分にも当てはまると感じる方も多いのではないでしょうか。
最後にピカートの解決策に触れておきたいと思います。本作で現代文明から救われる解決策が示されていますが、おそらく当時でも実践できた方は少ないのではないでしょうか。それが『沈黙の世界』へとつながったのではないかと思います。
ピカートの現代文明批判に嫌悪感を覚える方も多いかもしれません。それを補って余りある価値が本作にはあります。(2019/01/29)
歴史における個人の役割(岩波文庫)
プレハーノフ著 木原正雄訳
歴史に対して
歴史に対し二つの見方が可能であると思う。
一つは個人が歴史を築き上げていくという自由論的な見方、もう一つは歴史は個人の思惑とは関係なく流れていくという宿命(運命)論的な見方である。
著者のプレハーノフは後者の見方に重きを置きつつも「我々は宿命を実感する時、ある種の自由を感じる」と両者を止揚した見方に達する。彼の考えを要約するなら「英雄が歴史を作るのではなく、流れを体現したものが英雄となる」となるだろう。
私は原文を読んだことがないので断言はできないが、読みやすく格調の高い翻訳であると思う。小著ではあるが歴史ひいては自由を考える上で有益な作品である。(2018/05/21)