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大絶画さんの公開ページ レビュー一覧 4ページ

レビュー

  • 人間学 <カント全集 15>

    渋谷治美 高橋克也 訳

    カント入門に

    本作は20年以上続いた講義が下になっています。
    博識ぶり、ユーモア、政治意識そして人間への関心とカントのも特性・問題意識がよく表われています。
    カント哲学を理解する上で三大批判や『プロレゴーメナ』や『人倫の形而上学の基礎づけ』など基礎編・入門編から入るのもいいですが、哲学者カントから入るもの一つの道です。本書ほど哲学者カントを表わした著作もないでしょう。(2022/10/01)

  • カント全集 11 人倫の形而上学 <岩波オンデマンド>

    樽井正義 池尾恭一 訳

    カント倫理学の到達点

    『人倫の形而上学の基礎づけ』、『実践理性批判(人倫の形而上学の基礎)』と続いたカント倫理学もここに完結します。
    本書は法論(外的義務論)と徳論(内的義務論)に分かれます。内容も言葉遣いは難しいですが、土地の権利取得や死後の名誉の扱い方など現実の問題が扱われ三大批判に比べれば取っ付きやすいでしょう。
    カントといえば「小難しいことを考える人」というイメージを持つ方も多いでしょうが、それは現実の問題を考える上で堅実な基礎を求めたからです。
    カント哲学を理解するならば哲学者カントの理解が必要です。(2022/09/24)

  • 「ヒューマニズム」について パリのジャン・ボーフレに宛てた書簡

    マルティン・ハイデッガー 著 / 渡邊二郎 訳

    存在論的人間学の試み

    ハイデッガーは『存在と時間』から存在論に裏打ちされた人間論の構築を目指していました。しかし彼自身、その仕事の大きさ・深さに圧倒され『存在と時間』は未完に終わりました。
    しかしハイデッガーの思索は生涯止むことはなく、本書で新たな「ヒューマニズム」の構築を唱えています。それは存在論的人間学あるいは存在論的倫理学と読んでいいでしょう。
    本作は『形而上学入門』とともに後期ハイデッガー哲学入門編というべき作品です。論文調で比較的読みやすいです。(2022/09/18)

  • 貞慶 『愚迷発心集』を読む 心の闇を見つめる

    多川俊映

    徹底した自己凝視

    大乗仏教の多くの宗派はすべての存在が仏になると説きます。しかし法相宗のみが仏になれない存在がいると説きます。
    もちろんこれは意地悪しているのではなく徹底した人間観察から生じます。そして日本法相宗を代表する貞慶もまた人間の愚かさを描きます。
    『愚迷発心集』という題も人間の「愚迷」を見つめ、神仏の慈悲にすがり「発心」せよということです。
    貞慶の自己凝視は苛烈に思えますが、その先に清冽な世界が広がっていきます。(2022/09/07)

  • 新訳 実存哲学

    カール・ヤスパース 著 / 中山剛史 訳

    現実を生きる存在(実存)

    哲学とくに実存哲学は、現実を生きる我々を探求しているといえます。
    ヤスパースの『実存哲学』は主著『哲学』や『真理について』の要約ともいえる内容で「包括者」や「哲学的信仰」といった独自の術語も登場します。しかしただ概念をこね回すのではなく、現実を生きる私たちを描く上で必要だったといえます。
    さて本書の付録にはサルトルの「実存主義とは何か」への言及があります。サルトルは「実存は本質に先立つ」と人間は自由な存在、自らを作り上げることができると説きました。ヤスパースは超越者(神)のメッセージ(暗号)を解くことを説き対称的といえますし、サルトルについて批判的な見方をしています。
    しかし我々自身、現実を生きる存在であることに変わりはありません。ヤスパースの問いは古くそして新しいといえるでしょう。(2022/07/02)

  • ニーチェ -彼の〈哲学すること〉の理解への導き

    カール・ヤスパース 著 / 佐藤真理人 訳

    <哲学すること>とは

    ニーチェほど安易に語られた思想家はいないかもしれません。
    「神は死んだ」「深淵を覗く時~」など彼の言葉は魅力的です。しかし特定の言葉に注目されある一面ばかり強調されニーチェの全体像は見えづらくなります。
    ヤスパースの『ニーチェ』は、ヤスパース自身ニーチェの思想を血肉としているだけあって、彼の全体像を余すことなく描いています。本書が<哲学>の解説ではなく<哲学すること>の解説になっていますが、ヤスパースが自己存在をかけてニーチェと格闘しているからでしょう。読み進めうちに自然と<哲学すること>が身につくと思います。
    最後に訳者の佐藤氏に触れます。日本語として自然な訳文や、氏の<哲学すること>を表した訳注はもちろん、膨大な引用箇所が素晴らしい。ヤスパースはクレーナー社判から引用していますが、現在はグロイター社判(KSA)が使用されます。そこで本書ではKSAの該当箇所を示しています。データベースなど利用可能だったとはいえその労力は凄まじいものだったでしょう。ニーチェの解説書は星の数ほどありますが、その中でも一層輝く作品だと思います。(2022/06/21)

  • 告白 I

    アウグスティヌス 著 / 山田晶 訳

    存在し、知り、意志する

    本作はキリスト教文学の金字塔です。
    山田訳の意義・価値については第1巻の「『告白』山田訳をもつということ」に尽くされています。あえて付け加えるなら山田氏ほどアウグスティヌスの信仰・信条に踏み込んだ訳者はいないでしょう。
    さらに第3巻には「世界の名著」版に収録されていた「教父アウグスティヌスと『告白』」が再録されており、こちらもアウグスティヌス入門だけでなく中世哲学入門になっています。
    そして講談社学術文庫『アウグスティヌス講話』を合わせて読むことで現代にも通じるアウグスティヌス神学の奥深さが理解できると考えます。(2022/04/25)

  • 新訳 不安の概念

    S.キルケゴール 著 / 村上恭一 訳

    深淵の前

    「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いている」と語ったのはニーチェであった。
    キルケゴールはニーチェとともに実存哲学の創設者とされる。キルケゴールがニーチェの著作に触れていた形跡はないそうだが、彼らが同じ問題を扱ったとしても疑問はないだろう。
    さて我々は深淵に触れる時“不安”を覚える。不安は恐ろしいものであるが、同時に自己存在を自覚する端緒となる。ハイデッガーが『不安の概念』を通して人間認識を深めたことは偶然ではないだろう。
    キルケゴールは不安と向き合うためにキリストへの信仰を説くのだが現代において時代遅れになってしまったのかもしれない。
    しかし現代ほど“不安”と向き合っている時代はないのかもしれない。現代人はつながりを求めSNSに泥酔しているが、これは根源的な“不安”を避けているからではないだろうか。
    さきにも書いたようにキルケゴールの解決法は時代遅れかもしれない。しかし彼の分析はけっして古びていない。デンマーク語原典からの翻訳である本書を通してキルケゴールに触れていただきたい。(2022/04/14)

  • 精神現象学 上

    G.W.F.ヘーゲル 著 / 熊野純彦 訳

    汝自らを知れ

    バートランド・ラッセルは「西洋哲学史はプラトンの解釈である」と述べたいう。そしてプラトンの思想を要約するならば「汝自らを知れ」の一言で表せるだろう。
    さてヘーゲルに先行するカントは『純粋理性批判』において理性の枠組みを示した。その後、フィヒテやヘーゲルらはいかにカントを超えていくか目指した。そして精神の発展を描いた『精神現象学』は一つの頂点を言っても過言ではないだろう。
    ヘーゲル以後もフォイエルバッハやマルクス、「カントに帰れ」と唱えた新カント派、ニーチェやキルケゴールなどの実存哲学など新たな発展があるがここでは割愛する。
    さて熊野氏の翻訳といえど、哲学書の中でも難解とされる『精神現象学』を読み解くのは難しい。しかし訳語を工夫したり小見出しを付けるなど工夫がされており初学者でも何とか読み通せるようになっている。ファーストチョイスにいいだろう。(2022/04/14)

  • 法の哲学 自然法と国家学の要綱 上

    ヘーゲル 著 / 上妻精 佐藤康邦 山田忠彰 訳

    血の通ったヘーゲル

    ヘーゲルに対しては血の通わない大理石の彫像のようなイメージを持っていました。
    ただこのたび岩波文庫『法の哲学』を読み現実と格闘するヘーゲルを知り、初めてヘーゲルもまた血の通った人間であると認識できました。
    本書では従来の訳語が踏襲されており、初めて読む方は戸惑うかもしれません。しかし意味不明と理解不能ということはないはずです。
    本作は「ヘーゲル入門編」として紹介されることも多くヘーゲル哲学を堪能できます。(2022/03/10)

  • 唯識の読み方 -凡夫が凡夫に呼びかける唯識

    太田久紀

    『成唯識論』入門

    空海様は『御遺告』の中で「三論(中観)と法相(唯識)を学ぶべし」と遺しています。真言行者に限らず中観思想と唯識思想は大乗教学の柱といっても過言ではありません。どの宗派に属するにしても中観と唯識を学ぶべきでしょう。
    さて中観思想が大乗仏教の存在論・論理学とするなら唯識思想は認識論・人間学です。悟りを得るためには何よりも自分を理解する必要があります。そしてそれは自らの愚かさとの向き合いです。
    本書では玄奘訳『成唯識論』を中心に人間を分析していきます。それはただ『成唯識論』を解説するだけでなく(かつての日本の学僧がそうであったように)テキストに拘泥することなく禅宗や浄土教、原始仏典を引用しつつ読み進めていきます。
    副題に「凡夫が凡夫に呼びかける」とありますが、凡夫である著者が凡夫である読者に呼びかけるということです。唯識思想を理解する上で相応しい一冊です。(2022/03/10)

  • カント全集 10 たんなる理性の限界内の宗教 <岩波オンデマンドブックス>

    北岡武司 訳

    第四批判

    本作は“批判(Kritik)”という言葉こそ入っていませんが批判精神に貫かれています。一部の学者は「第四批判」と呼びます。とくに序文の草稿を読むとなぜ「たんなる理性の宗教」ではなく「たんなる理性の“限界内の”宗教」なのか理解できます。
    さて本作の序文でカントは「道徳を守る上で人間以上の存在者を必要としない」と書いています。いわゆる無神論・無宗教と呼ばれる人でも道徳的・自律的な人間はいるわけです。そして悪は善の欠如ともいえます。カント自身、信条・心情的に断定は避けていますが、おそらく本作の出版がなかなか許可されなかったのも、この点が絡んでいるのでしょう。
    序文の中に「道徳は宗教にいたる」と述べていますが、これは学問的誠実さの表れであり、彼自身の思索過程そのものといっていいでしょう。彼の問いに対しフィヒテ、シェリング、ヘーゲルといった観念論者が答えていきますが、それはまた別のお話。(2022/02/26)

  • 『菩提心論』文庫化リクエスト

    龍猛(龍樹)造 不空訳

    即身成仏

    龍猛(龍樹)作の「菩提心論」は即身成仏(生身で悟りを得ること)を説いた論書であり、「釈摩訶衍論」とともに空海は自らの教学を築く際に参考にしました。
    テキストについては疑義があるものの、チベットにも同じく龍樹作とされる「菩提心の解明」という似た内容の論書が伝わっています。内容も優れており、けっして偽経と切り捨てていい論書ではありません。
    さて日本語で読む場合、関連論文も収録されている北尾隆心氏の『菩提心論の解明』(東方出版)が読みやすいと思います(私も本書から「菩提心論」に触れました)。(2022/02/09)

  • 弘法大師著作全集 第二巻

    勝又俊教 編修

    真言密教の奥義

    著作全集2巻には主に空海師による仏典解説(開題)が収録されています。
    そのほとんどが数ページで終わるものですが、簡潔に経典の本質が描写されているといえます。国訳(書き下し文)のみで慣れは必要ですが、読み通せると思います。
    さて本書の目玉は最後に収録された「宗秘論」と「秘蔵記」でしょう。どちらも真言密教の奥義が書かれていますが、とく「秘蔵記」は空海が師・恵果より賜ったあるいは弟子たちが空海の言葉を記したと伝えられています。
    真言行者ならば一読して損はありません。(2022/02/06)

  • 自省録

    マルクス・アウレリウス 著 / 神谷美恵子 訳

    厳しくも美しい

    本作はローマ皇帝アウレリウスの備忘録である。
    おそらく陣中などで書き溜められたためか前後の文章に脈絡はなく、また他人に見せることを想定していなかったのか難解な箇所も少なくない。
    しかしストア哲学者であった彼の言葉は鋭くまた重い。読み進めていくうちにハッとさせられる箇所は1カ所や2カ所では済まないだろう。
    ストア哲学の問題などについては訳者もあとがきで触れているが、それでも厳粛な美しさに見せられるものは多いだろう。(2022/01/16)

  • エピクテトス 人生談義 上

    國方栄二 訳

    耐えよ、控えよ

    宗教家の清沢満之氏の著作で紹介されており興味を持ちました。
    エピクテトスは後期ストア派の代表格であり、ストア派がストイック(禁欲的)の語源にもなったということで「徹底的に自分を痛めつける哲学」といったイメージを持っていました。しかしそれはいい意味で裏切られます。
    エピクテトスは「自然本性に従って生きよ」と説いています。これは自分の力がおよぶ範囲で精一杯生きれれば後悔することはないと考えていいでしょう。そして人知を超えた部分には必要以上に求めない。訳文の影響もあるのか、ストイックというよりはノビノビと生きているように思えました。彼は弟子たちに「耐えよ」・「控えよ」と教えたそうですが、エピクテトス哲学の要約といっていいでしょう。
    さて本書の中で度々、デルポイ神殿に掲げられていたという「汝自身を知れ」という標語が引用されます。自分を知っていれば困難にも「耐えられる」し適量で「控える」こともできる。現代は物質社会で情報社会です。物量に飲み込まれないためにもエピクテトス哲学を学ぶべきなのかもしれません。(2022/01/09)

  • 阿含経典 1 存在の法則(縁起)に関する経典群 人間の分析(五蘊)に関する経典群

    増谷文雄

    原始仏教の姿

    大乗仏教において「阿含経」は小乗(上座)仏教の範疇であり、取るに足らない教えされてきました。ところが文献学は進歩により、むしろ阿含経典にこそ釈迦の教えの原型(これを「原始仏教」と呼ぶことにします)があることが分かってきました。
    そして実際に阿含経を読んでみると、非常に合理(論理)的・現実的な教えが見えてきました。一部、専門用語があるとはいえ、その論理ができないということはないと思います。そしてその教えは反宗教的ですらあるかもしれません。
    さて増谷氏の翻訳は、一般に浸透した仏教用語はそのままに日常用語で読める翻訳になっていると思います。かなりの部分を「後世の加筆・増補が入っている」として削除されていますが(第2巻の佐々木氏の解説参照)、必要最低限の文章は揃っていると思いますし、何よりも文庫で持ち運べ便利です。内容の連続性はあるとはいえ自分の関心のある内容から読み始めていいでしょう。
    最後に大乗仏教との関連に触れます。「大乗仏教は釈迦が唱えた教えではないから仏教ではない」(大乗非仏説)という主張もあります。じっさい本書を読んでみると大乗仏教とは異なるイメージを持ちます。しかし中道の概念は存在しますし、当時から「自分たちだけ救われればいいのか」という主張も教団内にありました(第3巻「一人の道にあらず」)。煩雑になった嫌いはありますが、深化・発展した部分も多いように思います。(2022/01/06)

  • ファウスト 悲劇第二部

    ゲーテ 著 / 手塚富雄 訳

    読みやすく格調高い翻訳

    ゲーテの『ファウスト』の翻訳は多数存在します。一冊だけ選べといわれたら手塚訳を選びます。
    さて翻訳に求められるのは正確さ、それに原文が持つ雰囲気が日本後で再現されているかということでしょう。そして多くの場合、前者が重視され後者はおざなりになっていることが少なくありません。とくに文学作品を味わう場合、「日本語で読める」ことが最優先といっていいでしょう。あまたの翻訳の中でも手塚訳は正確さと日本語としての美しさを兼ね備えた例外といっても過言ではないかと思います。
    もちろん翻訳の最終版が1974年ですから、およそ半世紀を得ました。しかし古さを感じる部分はあっても、けっして古臭くはなっていないと感じます。(2022/01/06)

  • 三面大黒天信仰 新装二版

    三浦あかね

    浅きは深き

    私が三面大黒天を知ったのは開運グッズのCMか何かだったと思います。その時は「なんて浅い神様だろう」と思っていました。
    その後、本書と出会いインドに源流を持ち、日本で進化した仏であると知りました。「人間の要求を叶える浅ましい神様」といった印象でしたが、四弘誓願の1つ「衆生無辺誓願度(衆生の数は限りないがすべてを救おうという誓い)」を体現した存在といっていいのかもしれません。また写真や絵も多く、拝み方など仏教の知識がない方にも読み通せると思います。
    最後に三面大黒天の仏像の多くは明治の廃仏運動で所在不明になっているものが少なくないようです。本書の中にも「粗末に扱われていた仏像を綺麗にしたら参拝客が増えた」といった話が紹介されています。この機会に三面大黒天を見直す動きができればと思います。(2021/12/18)

  • 摧邪輪

    明恵

    信と行

    岩波書店刊『日本思想体系 鎌倉旧仏教』収録の「摧邪輪」のレビューです。本書には全3巻の原文が収録されていますが、書き下しは上巻のみです。しかし明恵房高弁の批判の要旨は書かれていますので、参考にしていただければと思います。
    さて高弁の批判を一言で申せば「菩提心(信心、求道心)の伴わない行(念仏)に意味はあるのか」に尽きます。この点について浄土教側の主張は「信仰があるから念仏を唱えるのだ」となるでしょう。
    しかし高弁の主張も浄土教側の経典である浄土三部経を根拠に展開されます。どちらが勝者か読者に判断を委ねますが、法然の高弟であり高弁と同年代であった親鸞にとって自らの存在意義を懸けた戦いであったことでしょう。
    そして皮肉にも門下たちがこぞって解説書を書いたことで法然の念仏は広まることになります。とくに親鸞が『教行信証』を書き浄土真宗を立ち上げたことは大きいでしょう。本書もまた日本浄土教の理解に不可欠といえます。(2021/11/25)

  • 禅の心髄 無門関

    安谷白雲

    禅の心髄

    岩波文庫『無門関』だけで奥深さが理解できなかっため購入しました。
    解説も冗長すぎずシンプルですが、著者が禅行者であるためか実際に問答を挑まれているような気持ちになります。
    『無門関』の解説書は数多く出ていますが、“禅の心髄”を体現した一冊だと思います。(2021/03/08)

  • 新装版 世論と群集

    ガブリエル・タルド 著 / 稲葉三千男 訳

    群衆の時代に

    もう20年ほど前になります。それまで高校の授業などでパソコンに触れたことはありましたが、大学の生協でパソコンを買いインターネットに触れました。
    そして漠然とではありますが「ネットが発達して世界中の人と触れ合えれば世界はよくなっていくだろう」と考えていました。
    当時はネット社会を賛美するようなドラマが多かったと思います。

    タルドが生きた19世紀の最新メディアは新聞です。世界初の新聞が発行されたのは17世紀で、その後フランス革命など多くの社会運動で世論形成に役立ってきました。タルドも私が漠然と感じていたことを(文字通り情報量は桁違いに小さいのですが)新聞に見出していたのかもしれません。
    しかし光(希望)があるところには影(絶望)もあります。たとえばル・ボンは群衆の無秩序な力を恐れ、後世のリップマンは『世論』・『幻の公衆』でタルドのような理想に警鐘を鳴らしました。

    話を現代に戻すとここ20年の変化を見ても、私たちがやり取りしている情報量は何桁も(何倍ではなく)上がっているといっていいでしょう。SNSや情報機器は発達し、これまで大手マスメディアなどが一方的に情報を配信するという状況は崩れつつあります。事故や事件が起きると視聴者がスマホで撮影したという動画が流れることも珍しくありません。
    いっぽうで掲示板などで(自分も含め)利用者のごく一部とはいえ偏狭で高慢な意見を目にするたび暗い気持ちになります。
    今後も私たちがやり取りできる情報量は飛躍的に上昇していくことでしょう。メディアへの対応を見直す意味で本作をはじめとするメディア論が古くなることはないのかもしれません。(2019/06/17)

  • ユング心理学からみた子どもの深層

    秋山さと子

    死と再生の物語

    この本を初めて読んだのは十数年前、学部生の頃だったと思います。その時は「成人式を迎えたら大人になるだろう」と漠然と考えていましたし、この本を読んだ後もその印象は大きく変わっていなかったと思います。
    現在になって改めて読み直してみると、本書で紹介されている子供たちの再生の物語にあの時以上に圧倒されます。それは私自身が彼らのほどではないにせよ、再生の物語を紡ぎ出そうとしているからかもしれません。
    詳細は述べませんが、私の現状は十数年前に考えていたほど明るくはなく、現在は立ち直ってきましたが何度となく死を考えてきました。
    著者は「子供の気持ちを理解してよりよい大人になってほしい」と再三述べていますが、この言葉は教師やスクールワーカーなど子供と向き合う仕事をしている方だけに向けられているのではないと思います。
    すでに再生を終えた方、いままさに再生に向かおうという方に読んでいただきたいです。(2019/03/25)

  • 心理療法の光と影

    A.グッゲンビュール・クレイグ

    患者の立場から

    本作は主にカウンセラー(心理療法家)の立場から書かれていますが、患者の立場で読んでも有益だと考えます。
    本作にはカウンセラーに限らずソーシャルワーカー、ひいては弱者と向き合う人たちが陥りやすい様々な事例が紹介されています。
    それは患者にとっても他人ごとではないでしょう。

    私は足掛け3・4年カウンセリングを受けていました。
    詳細は省きますが、当初は効果も高く自分でも「治ってきた」という実感があったのですが、徐々に通院することが苦痛になっていきました。
    そこで数か月中断してはまた通院して…をくり返し、2年前のカウンセリングを最後に現在は通院していません。
    完治したのか断定はできませんが、現在は多少の波はあるものの出勤日に出勤し、定時まで働けています。

    あの時、私に起こったことを考えるならカウンセラーに「いんちき医者」の影を見ていたのかもしれません。とにかく「なぜ私がこんなに苦しいのに気付いてくれないのか」・「わざと治療を長引かせているのではないか」という気持ちでいっぱいでした。
    いまだったら別の観点から見れるかもしれません。(2019/03/12)

  • イエス

    ルドルフ・ブルトマン 著 / 川端純四郎 八木誠一 訳

    イエスと出会う

    イエスの教えを知る上で、第一の資料は四大福音書でありましょう。しかし多く聖典がそうであるように、これらはイエスの死後、弟子たちがまとめ上げたものです。歴史的な事実が反映されていることは間違いないにして、一字一句事実が書かれているとよほどの原理主義者か狂人くらいでしょう。
    そうでなくともキリスト教が2000年近い歴史を持っています。その間に福音書をはじめとするテキストに変化をもたらしたことは確実です。
    本作も「ブルトマンの二次創作」と切り捨てることができる。しかし本作を読み直す度に新たな発見や新鮮な感動を覚えます。それは歴史と格闘し聖書の中からイエスの実存を紡ぎ出す成功しているからだと思います。本書を通して間近でイエスの教説を聴いているかのような感覚を覚える読者も多いのではないでしょうか。(2019/02/05)

  • われわれ自身のなかのヒトラー

    マックス・ピカート 著 / 佐野利勝 訳

    騒音の世界

    本作を読む際は続編(解決編)ともいうべき『沈黙の世界』とあわせて読むことをお勧めします。より本作ひいては「現代」の本質が見えてくるかと思います。本レビューとタイトルは「沈黙の世界」を踏まえて「騒音の世界」としました。
    「騒音」の害悪については『沈黙の世界』でも再三描かれることになります。

    さてナチス・ドイツの登場はヨーロッパにおける最大級の悲劇でしょうが、しかし構成員の多くは悲劇を演じるには似つかわしくない平々凡々とした市民たちでした。
    ピカートのよれば彼らは非連続的・非連関的な人間でした。彼らはある瞬間、残虐の拷問官であり、次の瞬間には誠実な窓口係にもなる。
    またヒトラーは英雄ではなく大悪党ですらありません。ただ非連続・非連関を体現した存在でしかない。
    彼らを作り上げたのはナチズム(国家社会主義)といった思想ではなく(そもそもピカートによれば思想ですらない)、ラジオに代表される現代文明でした。
    ピカートが示す解決策とは…。

    本作は終戦直後の1946年に刊行されました。そのためか「ドイツ人は~」といった言い回しが目立ち、ピカートの怒りがダイレクトに反映されています。
    しかし彼が描く「現代」は70年経った現在でも有効です。「ラジオ」を「(インター)ネット」と置き換えれば自分にも当てはまると感じる方も多いのではないでしょうか。
    最後にピカートの解決策に触れておきたいと思います。本作で現代文明から救われる解決策が示されていますが、おそらく当時でも実践できた方は少ないのではないでしょうか。それが『沈黙の世界』へとつながったのではないかと思います。
    ピカートの現代文明批判に嫌悪感を覚える方も多いかもしれません。それを補って余りある価値が本作にはあります。(2019/01/29)

  • 歴史における個人の役割(岩波文庫)

    プレハーノフ著 木原正雄訳

    歴史に対して

    歴史に対し二つの見方が可能であると思う。
    一つは個人が歴史を築き上げていくという自由論的な見方、もう一つは歴史は個人の思惑とは関係なく流れていくという宿命(運命)論的な見方である。
    著者のプレハーノフは後者の見方に重きを置きつつも「我々は宿命を実感する時、ある種の自由を感じる」と両者を止揚した見方に達する。彼の考えを要約するなら「英雄が歴史を作るのではなく、流れを体現したものが英雄となる」となるだろう。
    私は原文を読んだことがないので断言はできないが、読みやすく格調の高い翻訳であると思う。小著ではあるが歴史ひいては自由を考える上で有益な作品である。(2018/05/21)

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