集平さんの公開ページ 復刊投票コメント一覧 公開ページTOPへ 復刊リクエスト投票 あのやまこえてやってきた 【著者】長谷川集平 描いた本人です。『はせがわくんきらいや』を描き終えてヘトヘトになりながら、まだ足りないものがあると一気に描いたものです。だから、実は『はせがわくん……』とこの絵本でワンセットです。ここには、その後ぼくの作品世界の背景になっていく風景が描き連ねられています。実際に見たことのない、いわば心象風景ですが、十数年後にぼくは同じ風景を発見して泣きました。なんと、それはぼくの祖父が生まれ育った福岡県の田舎の風景だったのです。それも昔の景色にそっくりだとそこの人は言うのです。なぜぼくはそんなものを描き得たのか。その辺から、絵本は自己表現だというぼくの確信がぐらつきはじめます。表現は自己なんてちっぽけなものを超えてしまうことがある。かなしい疾走感とともに、ものすごく大事なぼくのもうひとつの原点がこの絵本です。(2003/11/28) たかし、たかし 【著者】長谷川集平 描いた本人です。この絵本は難しく言えば、他者の存在を認識すること、想像力の限界を知る、その上に人と人の出会いがあるという考えに基づいています。が、お話はきわめてマンガチックに展開します。ここに出てくる犬(のようなもの)はぼくの『青いドッグフーズ』に出てくる犬(のようなもの)と同じで、どこまでもぼくらにつきまとうアレに似ています。阪神ファン時代に描いたもので(編集者も虎キチでした)タイガースネタのコマ割りマンガが挿入されています。今読むとまた別の味わいがありますね。ラストの夕焼けが美しい。これも出しといてね。(2003/11/28) 鉛筆デッサン小池さん 【著者】長谷川集平 書いた本人です。この物語にはぼくの青春の喜怒哀楽が結晶しています。絵を描き始めたころのヒリヒリした心の機微がなぞられています。ぼくらはあのころ、名古屋の寒風吹きすさぶ路上を永島慎二さんの漫画の登場人物になったようなフーテンな気分で歩きました。挿絵を永島さんに描いてもらえて光栄です。ヒトと違った道を行きたい、なのに決心がつかないという若者にプレゼントしたい本です。本や映画や音楽の中にしか自分に似た人を見つけられない、そういう若者はいつもいるでしょうから、この本もいつも手にとれるようにしておいてください。(2003/10/21) 石とダイヤモンド 【著者】長谷川集平 書いた本人です。いまだに子どもの本とロックはミスマッチと考えている「お上品」な人がいますが、ぼくはこの小説でロックこそ小さい人たち(子ども・おとなに限らず)のものだということをある程度書き得たと思っています。ここに出てくるなさけない父親と息子の関係が愛おしい。タイトルは言わずもがな映画「灰とダイヤモンド」から来ています。路傍の石文学賞にぴったりのタイトルになりました。悩み多き、小さい人たちの手の届くところに、いつも置いておいてほしい本です。(2003/10/21) 夢の隣 【著者】長谷川集平 これは『絵本宣言序走』で試みた自作の断片のコラージュを、さらに綿密にしたものです。あちこちで発表した文章やイラストを散りばめ、コラージュというよりもモンタージュして、それぞれの小品にフィードバックをかけるような作業になりました。タイトルの「隣」という表記を「隣り」にしろと編集者に言われて、どうしてもそれはしたくない、キリッと三文字で行きたいんだと電話で延々と粘ったのをきのうのことのように覚えています。表紙のチンドン屋の絵がそうですが、このころのぼくは「粋」とはどういうことかなんてことを考えていました。キザにならない粋ってどうやったらできるだろうかなどと。ぼくは本気で夢の隣に引っ越したいと思い始めていました。これまた、ちゃんと印税をもらわなかった作品です。児童文学からも文学からもはぐれているのですけれど、それがまあ「夢の隣」と称するゆえんでもあります。(2003/09/09) 夜の三角形 【著者】長谷川集平 教師の中にある暴力性をこんな形で描いた子どもの本は他にないでしょう。人間の中にある無意識的な狂気と悪意に目をつぶらず、それでも素敵な時間を生きたいのだという渇望が『夜の三角形』にあり、救いの手はやがて『見えない絵本』で暗示されます。そしてまた迷い、そしてまた気を取り直す……ぼくの作品は絵本、児童文学、評論、音楽、すべてがコール・アンド・レスポンスをくり返しているので、すべてを古いものから新しいものにたどって見てくださると、おのずとひとつの世界が浮かび上がってくると思います。その世界が閉ざされ、途絶えてしまわないためにも、ひとつひとつの作品を生かしておいてほしい。やはり3や6や12という数字にこだわったバッハの音楽が哲学であったように、ぼくの作品群も(どんくさいですが)哲学であったと思います。今はそこから脱しようとしているのですけれど、その必然性は哲学の森をさまよったからこそ出てきたものです。本はやはり紙の、そして製本して綴じられた本がいいですね。(2003/09/09) たんぽぽのこと 【著者】長谷川集平 描いた本人です。この絵本は共著の竹内敏晴さんにとっても重要作なので、ぜひ復刊をと心から望みます。もともとは谷川俊太郎さん企画の教材のひとつで、竹内さんとぼくを組み合わせたのは谷川さんです。子どもに基本的な動詞の意味を一冊一冊の絵本で教えようというコンセプトのもとに描いたものです。「はなす」という言葉を掘り下げる作業になりました。演劇指導を通して言葉をひらく実践をしておられる竹内さんとぼくの真剣勝負の末、やさしい物語が生まれました。その過程で、アイヌに伝わる「クサレマナイタ」の伝説を竹内さんにうかがい、ぼくは言葉、そしてコミュニケーションに対する認識をあらたにしました。シリーズでしか買えなかったものを温羅書房で単行本化、タイトルも『はなす』から『たんぽぽのこと』に換え、装丁をリニューアルしました。温羅書房の倒産と同時に絶版になった、惜しい惜しい絵本です。ちなみに、言葉をしゃべるのが遅かったぼくが最初に覚えた単語が「たんぽぽ」だったそうです。青空が似合う、希望に満ちた絵本になったのではないかと思います。(2003/09/04) おんぼろヨット 【著者】長谷川集平 書いた本人です。ヨット3部作はみっつとも絶版です。在庫があるうちは売るのでしょうが、出版社は増刷を打ち切っています。ぼくはよくわからないのですが、出版社がその本に見切りをつける理由は何なのでしょうか。この大切な3部作を「もう出さない」という理由は何なのでしょうか。これらの作品をなくしてもいいような本、代わりになる本をその出版社が出しているでしょうか。そうやって切り捨てられた本が、ぼくのものだけでもこんなにあります。リストを見て、あらためてびっくりしてます。いや、中にはたしかに出版社そのものがつぶれて本も道連れにされちゃった場合もたしかにありますがね。このリストはもっと増えていくはずです。あれも、そしてあれも絶版なんですから。絵を描いた村上康成とぼくの、かけがえのない、胸を張って言いましょう、大傑作です。(2003/09/03) 土手の上で 【著者】長谷川集平 描いた本人です。高田渡さんの歌詞に「見えるものは人のものだよ。見えないものはぼくらのものだよ」というのがあります。この絵本は、ぼくの興味が見えるものから見えないものに移行していく曲がり角を示しています。それは同時に、日常から非日常へ、意識から無意識への移行でもありました。でも結局、絵本は見えることを頼りに成立しているし、日常の中で読まれるし、無意識的な領域は見て見ぬふりされるんですよね。それで、ぼくはこの作品の後、「絵本とは何か」という問題を一から考え直す思索の段階に入り、長い間絵本を描けなくなってしまいました。その間ぼくに起きたことは『見えない絵本』という、絵本ならぬ小説にいったん結実します。(2003/09/03) 7月12日 【著者】長谷川集平 描いた本人です。これはぼくの宛名なしのボトルメールです。受け取ってくださいますか。ここに出てくる長谷川君は『はせがわくんきらいや』の長谷川君と同一人物とは言えないまでも、どこかダブっています。その長谷川君を好きな女の子が主人公。その子の誕生日が7月12日。ぼくの女房の誕生日です。もし、復刊が実現するなら、一カ所描き直したいところがある。どこだろう? なんて興味を持ってくださるとうれしいです。(2003/09/03) 夏のおわり 【著者】長谷川集平 描いた本人です。これは初めは今江祥智さんに言われて児童文学叢書のために書き下ろしたもので、後に理論社で絵本化されました。ぼくにとって反戦とはこういうことじゃないか。つまり、親の世代から無意識的に受け継がれた暴力性がこの身にも宿っているのだけれど、それはほのぼのとした無邪気なものでもあって、人間性とも言えるものであって、そういう自分を差し置いて「反戦」を唱えることは偽善なのではないか。好戦的でもあるぼくらのいとおしい日常と反戦の姿勢がどう折り合えるのか。走る少年たちの永遠性はどこにたどり着くのか。そういうジレンマが夏のおわりの蝉の声とともにひとつの物語になっています。この問いかけに、まだ納得できる答えは返ってきていない、とぼくは思います。何度もくりかえして読んでほしい絵本です。(2003/09/03) 絵本宣言序走 【著者】長谷川集平 書いた本人です。デビュー3年目に早くも出たオフィシャル・ブートレグという感じの、ぼくがあちこちに残した仕事のスクラップブック的な寄せ集めです。構成・編集をぼく自身がやったので、個人雑誌のような出来です。この本を知っていてリクエストしてくれた人、心からありがとう。どこに発表するという当てもなく描いた裸の自画像をさりげなく入れといたんだけど、まさに裸の20歳そこそこのぼくのいろんな側面がスクラップされています。これは「序章」じゃなくて「序走」なんだと言いたい何かがあったんです。(2003/08/27) 映画未満 【著者】長谷川集平 書いた本人です。雑誌「キネマ旬報」の連載ですから月に2回書いていた、日記に近いです。日本人が急速に自惚れていくバブル期のまっただ中でこんなことを考えていたやつがいたんだという、それだけでもめずらしい記録かもしれない。故・辻邦生さんはぼくのこの連載を見て「日本もまだ捨てたもんじゃない」と言ってくださった。彼はぼくに影響されて大瀧詠一のCDを気に入って聴いていたそうです。一緒にフランスの田舎の教会めぐりをしようと誘ってくださって間もなく亡くなった。……あんまりそういう楽屋話を書きたくはないんですけれど、ぼくはこの連載の中でガチンコ状態で刻々と変貌し、連載をうち切って東京人種をリタイアし、長崎に引っ越したのです。その落とし前は、オンデマンドで出している『こんちりさんのりやく・ロザリオ』でつけたつもりなんですが、つまりキーワードは「痛悔と改心(回心)」です。ここを経なければ今のぼくはありません。重くて嫌いで、それでいて大事な本です。(2003/08/25) 絵本未満 【著者】長谷川集平 書いた本人です。ぼくの作る「料理」に深入りしたとしましょう。あのダシはどうやって作っているのか……その秘密がこの本の中に書いてあります。そしてその秘密を知れば、あなたは他の料理も作れます。本書と『絵本づくりトレーニング』『絵本づくりサブミッション』は忍者の秘伝書のごときものです。しかし、敷居は高くない。その気にさえなれば、だれにでもひもとける秘伝書、ぼくはこの本が長く絶版だということを、ほとんど冗談だとしか受け取れません。なんとかしてくださいませんか……。(2003/08/25) 音楽未満 【著者】長谷川集平 書いた本人です。ぼくは音楽に生かされています。だから、この本はぼくの音楽へのラブレターです。このころ、ぼくはもう一度、絵をデッサンからやり直そうとしていたので、イラストの新境地が見られます。長谷川集平という謎を解くための基本資料です。これが今読者の手に届かないということは、たとえば梯子の上で(下と言った方がいいかな)「こっちにおいでよ」と声をかけても途中の三段ぐらいが抜けていて、だれもこっちに来られない、そんな感じがあります。順を追って見てもらわないと、今の表現があまりに唐突なものになってしまってないか、不安です。今のぼくはもっと遠くまで来てしまってますが、とりあえずこれと『映画未満』『絵本未満』という、いわば砂時計の一番細い部分を形成する未満三部作が抜け落ちている現状では、あらゆるシチュエーションでぼく自身、くり返し一から説明しなければならないもどかしさがつきまといます。ぜひ復刊を。(2003/08/25) 青いドッグフーズ 【著者】長谷川集平 描いた本人です。ぼくは「絵本は子どもだけのものじゃない」と、まあこれはぼくが言い出しっぺじゃなくて絵本ブームのころの決まり文句みたいなものであったのですが、よく言ってました。なら自作で示さなきゃいけないというので、モンタージュとキュビズムの影響下に思いっきりオトナ向けに描いた。林静一やつげ義春や上村一夫の残り香もありますね。もとになったのは雑誌「話の特集」のグラビアページに載せた短編です。ところが出してみると、書店の子どもの本棚に置かれている。アブナイアブナイ。絵本は子どもの本としてしか流通してないという、限界点を見たような気がしました。貧乏新婚時代だったのだけど、印税をもらえず現物支給、なんかかわいそうな作品です。いつかはちゃんとオトナ扱いしてやってほしい。(2003/08/25) こじこじ映画館 【著者】長谷川集平 書いた本人です。「長谷川集平は『こじこじ映画館』の後半で長谷川集平になった」と評してくれた人がいます。ぼくは「その通り」と思います。生々しいドキュメントです。精確かつ自省的な読者を得て、本人すらこの時点ではよくわからなかった意味を見出してもらえることを願って。(2003/08/24) すいみんぶそく 【著者】長谷川集平 描いた本人です。この作品はイギリス初の日本の絵本原画展で注目された時点ですでに絶版でした。売れないからか、売ろうとしないからか……。イギリスでは子どもの本としては実験的すぎて出版不可能と判断されたようですが、だとしたら、日本の絵本はここまで来てるんだぞというマイルストーンとして残してもらってもいいんじゃないでしょうか。「痛切」という言葉でしか説明できないラブストーリーです。二度と描けない絵と言葉に不思議な力がこもっています。(2003/08/24) アロくんとキーヨちゃん 【著者】長谷川集平 描いた本人です。これはね、出版にこぎつけるまで、なかなか理解を得られなかった作品です。出した後もなかなかわかってもらえない。極めつけは、パロッた本家『あおくんときいろちゃん』の作者レオ・レオニが「バカにしとんかぁ!」と激怒して、その場に居合わせた人が「集平さん、詫びを入れた方がいいんじゃない?」と言ってきた。ぼくは詫びなかったです。レオニ先生に敬意を表したつもりですから。6~70年代的ヒューマニズムの限界が明らかになってきた今こそ受けてほしい、変化球であります。(2003/08/24) おさむ、ムクション 【著者】長谷川集平 描いた本人です。この絵本が長らく消されちゃってるためにぼくはずいぶん誤解されているところがあるような気がします。こういう、のほほんとしたところもあるんですけどね。印刷を昔「赤胴鈴之介」のカラー製版をした職人さんがやってくれたこともこの絵本の特徴になっています。小型で、駄菓子屋さんに売ってる、それとも床屋さんで読みながら散髪してもらう、そんな絵本にしたかったんです。(2003/08/24) 前へ 1 2 次へ
復刊リクエスト投票
あのやまこえてやってきた
【著者】長谷川集平
トになりながら、まだ足りないものがあると一気に描いたもので
す。だから、実は『はせがわくん……』とこの絵本でワンセット
です。ここには、その後ぼくの作品世界の背景になっていく風景
が描き連ねられています。実際に見たことのない、いわば心象風
景ですが、十数年後にぼくは同じ風景を発見して泣きました。な
んと、それはぼくの祖父が生まれ育った福岡県の田舎の風景だっ
たのです。それも昔の景色にそっくりだとそこの人は言うので
す。なぜぼくはそんなものを描き得たのか。その辺から、絵本は
自己表現だというぼくの確信がぐらつきはじめます。表現は自己
なんてちっぽけなものを超えてしまうことがある。かなしい疾走
感とともに、ものすごく大事なぼくのもうひとつの原点がこの絵
本です。(2003/11/28)
たかし、たかし
【著者】長谷川集平
ること、想像力の限界を知る、その上に人と人の出会いがあると
いう考えに基づいています。が、お話はきわめてマンガチックに
展開します。ここに出てくる犬(のようなもの)はぼくの『青い
ドッグフーズ』に出てくる犬(のようなもの)と同じで、どこま
でもぼくらにつきまとうアレに似ています。阪神ファン時代に描
いたもので(編集者も虎キチでした)タイガースネタのコマ割り
マンガが挿入されています。今読むとまた別の味わいがあります
ね。ラストの夕焼けが美しい。これも出しといてね。(2003/11/28)
鉛筆デッサン小池さん
【著者】長谷川集平
います。絵を描き始めたころのヒリヒリした心の機微がなぞられ
ています。ぼくらはあのころ、名古屋の寒風吹きすさぶ路上を永
島慎二さんの漫画の登場人物になったようなフーテンな気分で歩
きました。挿絵を永島さんに描いてもらえて光栄です。ヒトと
違った道を行きたい、なのに決心がつかないという若者にプレゼ
ントしたい本です。本や映画や音楽の中にしか自分に似た人を見
つけられない、そういう若者はいつもいるでしょうから、この本
もいつも手にとれるようにしておいてください。(2003/10/21)
石とダイヤモンド
【著者】長谷川集平
えている「お上品」な人がいますが、ぼくはこの小説でロックこ
そ小さい人たち(子ども・おとなに限らず)のものだということ
をある程度書き得たと思っています。ここに出てくるなさけない
父親と息子の関係が愛おしい。タイトルは言わずもがな映画「灰
とダイヤモンド」から来ています。路傍の石文学賞にぴったりの
タイトルになりました。悩み多き、小さい人たちの手の届くとこ
ろに、いつも置いておいてほしい本です。(2003/10/21)
夢の隣
【著者】長谷川集平
らに綿密にしたものです。あちこちで発表した文章やイラストを
散りばめ、コラージュというよりもモンタージュして、それぞれ
の小品にフィードバックをかけるような作業になりました。
タイトルの「隣」という表記を「隣り」にしろと編集者に言われ
て、どうしてもそれはしたくない、キリッと三文字で行きたいん
だと電話で延々と粘ったのをきのうのことのように覚えていま
す。表紙のチンドン屋の絵がそうですが、このころのぼくは
「粋」とはどういうことかなんてことを考えていました。キザに
ならない粋ってどうやったらできるだろうかなどと。
ぼくは本気で夢の隣に引っ越したいと思い始めていました。
これまた、ちゃんと印税をもらわなかった作品です。児童文学か
らも文学からもはぐれているのですけれど、それがまあ「夢の
隣」と称するゆえんでもあります。(2003/09/09)
夜の三角形
【著者】長谷川集平
でしょう。人間の中にある無意識的な狂気と悪意に目をつぶら
ず、それでも素敵な時間を生きたいのだという渇望が『夜の三角
形』にあり、救いの手はやがて『見えない絵本』で暗示されま
す。そしてまた迷い、そしてまた気を取り直す……ぼくの作品は
絵本、児童文学、評論、音楽、すべてがコール・アンド・レスポ
ンスをくり返しているので、すべてを古いものから新しいものに
たどって見てくださると、おのずとひとつの世界が浮かび上がっ
てくると思います。その世界が閉ざされ、途絶えてしまわないた
めにも、ひとつひとつの作品を生かしておいてほしい。
やはり3や6や12という数字にこだわったバッハの音楽が哲学で
あったように、ぼくの作品群も(どんくさいですが)哲学であっ
たと思います。今はそこから脱しようとしているのですけれど、
その必然性は哲学の森をさまよったからこそ出てきたものです。
本はやはり紙の、そして製本して綴じられた本がいいですね。(2003/09/09)
たんぽぽのこと
【著者】長谷川集平
作なので、ぜひ復刊をと心から望みます。
もともとは谷川俊太郎さん企画の教材のひとつで、竹内さんとぼ
くを組み合わせたのは谷川さんです。子どもに基本的な動詞の意
味を一冊一冊の絵本で教えようというコンセプトのもとに描いた
ものです。「はなす」という言葉を掘り下げる作業になりまし
た。演劇指導を通して言葉をひらく実践をしておられる竹内さん
とぼくの真剣勝負の末、やさしい物語が生まれました。その過程
で、アイヌに伝わる「クサレマナイタ」の伝説を竹内さんにうか
がい、ぼくは言葉、そしてコミュニケーションに対する認識をあ
らたにしました。シリーズでしか買えなかったものを温羅書房で
単行本化、タイトルも『はなす』から『たんぽぽのこと』に換
え、装丁をリニューアルしました。温羅書房の倒産と同時に絶版
になった、惜しい惜しい絵本です。
ちなみに、言葉をしゃべるのが遅かったぼくが最初に覚えた単語
が「たんぽぽ」だったそうです。青空が似合う、希望に満ちた絵
本になったのではないかと思います。(2003/09/04)
おんぼろヨット
【著者】長谷川集平
うちは売るのでしょうが、出版社は増刷を打ち切っています。ぼ
くはよくわからないのですが、出版社がその本に見切りをつける
理由は何なのでしょうか。この大切な3部作を「もう出さない」と
いう理由は何なのでしょうか。これらの作品をなくしてもいいよ
うな本、代わりになる本をその出版社が出しているでしょうか。
そうやって切り捨てられた本が、ぼくのものだけでもこんなにあ
ります。リストを見て、あらためてびっくりしてます。いや、中
にはたしかに出版社そのものがつぶれて本も道連れにされちゃっ
た場合もたしかにありますがね。このリストはもっと増えていく
はずです。あれも、そしてあれも絶版なんですから。
絵を描いた村上康成とぼくの、かけがえのない、胸を張って言い
ましょう、大傑作です。(2003/09/03)
土手の上で
【著者】長谷川集平
よ。見えないものはぼくらのものだよ」というのがあります。こ
の絵本は、ぼくの興味が見えるものから見えないものに移行して
いく曲がり角を示しています。それは同時に、日常から非日常
へ、意識から無意識への移行でもありました。でも結局、絵本は
見えることを頼りに成立しているし、日常の中で読まれるし、無
意識的な領域は見て見ぬふりされるんですよね。それで、ぼくは
この作品の後、「絵本とは何か」という問題を一から考え直す思
索の段階に入り、長い間絵本を描けなくなってしまいました。そ
の間ぼくに起きたことは『見えない絵本』という、絵本ならぬ小
説にいったん結実します。(2003/09/03)
7月12日
【著者】長谷川集平
け取ってくださいますか。ここに出てくる長谷川君は『はせがわ
くんきらいや』の長谷川君と同一人物とは言えないまでも、どこ
かダブっています。その長谷川君を好きな女の子が主人公。その
子の誕生日が7月12日。ぼくの女房の誕生日です。もし、復刊が実
現するなら、一カ所描き直したいところがある。どこだろう?
なんて興味を持ってくださるとうれしいです。(2003/09/03)
夏のおわり
【著者】長谷川集平
叢書のために書き下ろしたもので、後に理論社で絵本化されまし
た。ぼくにとって反戦とはこういうことじゃないか。つまり、親
の世代から無意識的に受け継がれた暴力性がこの身にも宿ってい
るのだけれど、それはほのぼのとした無邪気なものでもあって、
人間性とも言えるものであって、そういう自分を差し置いて「反
戦」を唱えることは偽善なのではないか。好戦的でもあるぼくら
のいとおしい日常と反戦の姿勢がどう折り合えるのか。走る少年
たちの永遠性はどこにたどり着くのか。そういうジレンマが夏の
おわりの蝉の声とともにひとつの物語になっています。この問い
かけに、まだ納得できる答えは返ってきていない、とぼくは思い
ます。何度もくりかえして読んでほしい絵本です。(2003/09/03)
絵本宣言序走
【著者】長谷川集平
トレグという感じの、ぼくがあちこちに残した仕事のスクラップ
ブック的な寄せ集めです。構成・編集をぼく自身がやったので、
個人雑誌のような出来です。この本を知っていてリクエストして
くれた人、心からありがとう。どこに発表するという当てもなく
描いた裸の自画像をさりげなく入れといたんだけど、まさに裸の
20歳そこそこのぼくのいろんな側面がスクラップされています。
これは「序章」じゃなくて「序走」なんだと言いたい何かがあっ
たんです。(2003/08/27)
映画未満
【著者】長谷川集平
ていた、日記に近いです。日本人が急速に自惚れていくバブル期
のまっただ中でこんなことを考えていたやつがいたんだという、
それだけでもめずらしい記録かもしれない。故・辻邦生さんはぼ
くのこの連載を見て「日本もまだ捨てたもんじゃない」と言って
くださった。彼はぼくに影響されて大瀧詠一のCDを気に入って聴
いていたそうです。一緒にフランスの田舎の教会めぐりをしよう
と誘ってくださって間もなく亡くなった。……あんまりそういう
楽屋話を書きたくはないんですけれど、ぼくはこの連載の中でガ
チンコ状態で刻々と変貌し、連載をうち切って東京人種をリタイ
アし、長崎に引っ越したのです。その落とし前は、オンデマンド
で出している『こんちりさんのりやく・ロザリオ』でつけたつも
りなんですが、つまりキーワードは「痛悔と改心(回心)」で
す。ここを経なければ今のぼくはありません。重くて嫌いで、そ
れでいて大事な本です。(2003/08/25)
絵本未満
【著者】長谷川集平
う。あのダシはどうやって作っているのか……その秘密がこの本
の中に書いてあります。そしてその秘密を知れば、あなたは他の
料理も作れます。本書と『絵本づくりトレーニング』『絵本づく
りサブミッション』は忍者の秘伝書のごときものです。しかし、
敷居は高くない。その気にさえなれば、だれにでもひもとける秘
伝書、ぼくはこの本が長く絶版だということを、ほとんど冗談だ
としか受け取れません。なんとかしてくださいませんか……。(2003/08/25)
音楽未満
【著者】長谷川集平
本はぼくの音楽へのラブレターです。このころ、ぼくはもう一
度、絵をデッサンからやり直そうとしていたので、イラストの新
境地が見られます。長谷川集平という謎を解くための基本資料で
す。これが今読者の手に届かないということは、たとえば梯子の
上で(下と言った方がいいかな)「こっちにおいでよ」と声をか
けても途中の三段ぐらいが抜けていて、だれもこっちに来られな
い、そんな感じがあります。順を追って見てもらわないと、今の
表現があまりに唐突なものになってしまってないか、不安です。
今のぼくはもっと遠くまで来てしまってますが、とりあえずこれ
と『映画未満』『絵本未満』という、いわば砂時計の一番細い部
分を形成する未満三部作が抜け落ちている現状では、あらゆるシ
チュエーションでぼく自身、くり返し一から説明しなければなら
ないもどかしさがつきまといます。ぜひ復刊を。(2003/08/25)
青いドッグフーズ
【著者】長谷川集平
と、まあこれはぼくが言い出しっぺじゃなくて絵本ブームのころ
の決まり文句みたいなものであったのですが、よく言ってまし
た。なら自作で示さなきゃいけないというので、モンタージュと
キュビズムの影響下に思いっきりオトナ向けに描いた。林静一や
つげ義春や上村一夫の残り香もありますね。もとになったのは雑
誌「話の特集」のグラビアページに載せた短編です。ところが出
してみると、書店の子どもの本棚に置かれている。アブナイアブ
ナイ。絵本は子どもの本としてしか流通してないという、限界点
を見たような気がしました。貧乏新婚時代だったのだけど、印税
をもらえず現物支給、なんかかわいそうな作品です。いつかは
ちゃんとオトナ扱いしてやってほしい。(2003/08/25)
こじこじ映画館
【著者】長谷川集平
谷川集平になった」と評してくれた人がいます。ぼくは「その通
り」と思います。生々しいドキュメントです。精確かつ自省的な
読者を得て、本人すらこの時点ではよくわからなかった意味を見
出してもらえることを願って。(2003/08/24)
すいみんぶそく
【著者】長谷川集平
目された時点ですでに絶版でした。売れないからか、売ろうとし
ないからか……。イギリスでは子どもの本としては実験的すぎて
出版不可能と判断されたようですが、だとしたら、日本の絵本は
ここまで来てるんだぞというマイルストーンとして残してもらっ
てもいいんじゃないでしょうか。「痛切」という言葉でしか説明
できないラブストーリーです。二度と描けない絵と言葉に不思議
な力がこもっています。(2003/08/24)
アロくんとキーヨちゃん
【著者】長谷川集平
解を得られなかった作品です。出した後もなかなかわかってもら
えない。極めつけは、パロッた本家『あおくんときいろちゃん』
の作者レオ・レオニが「バカにしとんかぁ!」と激怒して、その
場に居合わせた人が「集平さん、詫びを入れた方がいいんじゃな
い?」と言ってきた。ぼくは詫びなかったです。レオニ先生に敬
意を表したつもりですから。6~70年代的ヒューマニズムの限界が
明らかになってきた今こそ受けてほしい、変化球であります。(2003/08/24)
おさむ、ムクション
【著者】長谷川集平
はずいぶん誤解されているところがあるような気がします。こう
いう、のほほんとしたところもあるんですけどね。印刷を昔「赤
胴鈴之介」のカラー製版をした職人さんがやってくれたこともこ
の絵本の特徴になっています。小型で、駄菓子屋さんに売って
る、それとも床屋さんで読みながら散髪してもらう、そんな絵
本にしたかったんです。(2003/08/24)