復刊ドットコム

新規会員登録

新規会員登録

V-POINT 貯まる!使える!

f.m.さんの公開ページ レビュー一覧

レビュー

  • 忘れられた兵士 ドイツ少年兵の手記

    ギイ・サジェール

    この小説はドゥ・マゴ賞受賞作

    この本は以前、読んだが、今思うと冒頭にドイツ空軍に入隊してルーデルの部隊に配属されたかのような描写があるから、操縦士か無線士としての訓練は受けているはずなのに、適性がないから、と、あっさりと陸軍の部隊に転属されたかのようになっている。入隊して日の浅い一兵卒を空軍から陸軍に転籍させるとは不自然だが、本来なら空軍地上部隊ではないのか?紆余曲折を経て、陸軍の精鋭部隊である大ドイツ師団に配属されたとあるが、どうも実際には入隊するに当たってドイツ空軍の軍装を着て入隊する陸軍の第638歩兵聯隊という形を取っていたLVF(反共フランス義勇軍)に入隊して、対パルチザン戦に従事して、武装SSのフランス人部隊に転属したのではないか?、という気がする。LVFや武装SSのフランス人部隊に入隊していました、と言えば「コラボ」と見なされるから、母親がドイツ人という事にして、ドイツ軍に志願したという事にしたのではないか。
     と思って検索したら、作者は1927年生まれで今年故人になった人で、この作品はドゥ・マゴ賞受賞作だった。最初から小説であって、「断片」のような戦後生まれの作者が創作した物語なのに「マイダネクにいた」と偽ったわけではなかったようだ。同い年のギュンター・グラスが戦争末期に武装SSへ入隊しているように武装SSならギリギリ入隊出来る年齢だが、小説の冒頭にあるスターリングラード戦当時は15歳で、ドイツ軍は18歳でないと入隊出来ない。武装SSでも17歳だ。(2022/06/27)

  • 摧邪輪

    明恵

    摧邪輪

    法然上人入滅後、開版された選択本願念仏集を読んだ明恵上人が批判する為に書いた本として存在は知っていても、注付きの読み下しで刊行されたら読んでみたい。(2021/11/14)

  • 断片 幼少期の記憶から・1939-1948

    ビンヤミン・ヴィルコミルスキー、小西悟

    戦後生まれのスイス人が捏造したフィクションです

    この本は戦後生まれのスイス人が捏造したフィクションです。マイダネクにはガス室があって、労働力にならない子供ならばガス室に送られてしまうのを作者は気がつかなかったようです。「母親に会わせる」と主人公を連れて行った時のSSの女性看守の服装については事細かに描いているから、SS隊員の制服についての参考文献は読んでいるのに。主人公が自動ドアが開くように強制収容所から「解放」される描写は噴飯物です。死の行進でドイツに連行されなかったのか?こういう本がズーアカンプのようなドイツの大手出版社から刊行されたり、ダニエル・ゴールドハーゲンのような「第三帝国時代の『普通のドイツ人』は全てナチ」というお粗末な「学説」を唱えた「大専門家」が評価したり、ワシントンのホロコースト博物館から「表彰」されたりしたのだから、どうなっているのだろう?(2021/06/19)

  • 三代の天皇と私

    梨本伊都子

    本の読み方

    張赫宙の「秘苑の花」を御徒町の上野書店で購入した時に「三代の天皇と私」に書かれている内容とそっくりな記述があるので「秘苑の花」で書かれている事は事実なのだな、と思った。今から思うと伊都子妃が「秘苑の花」を持っていたのか、それとも版元の講談社は同じ昭和50年に張赫宙(野口赫宙)の自伝的小説「嵐の詩」を出していて、彼と昵懇だった編集者がいたので張赫宙から「秘苑の花」を借りたのか、あるいは講談社の蔵書に「秘苑の花」があったかして「三代の天皇と私」を刊行する際に参照にしたか、手っ取り早く言えば下敷きにしたように思えてくる。
     王女の方子女王の「流れのままに」(旧題「動乱の中の王妃」、「すぎた歳月」)と「歳月よ王朝よ」も「秘苑の花」を読んでおかないと分からない面がある。
     「近代皇族妃のファッション」に伊都子妃が取り上げていて、写真と「三代の天皇と私」の引用が一緒に掲載されているが、訪欧時に実際に佩用していたのは勲二等宝冠章なのに「三代の天皇と私」には勲一等宝冠章と書いているので記憶違いに基づく記述がある。
     「三代の天皇と私」には王女の規子女王と山階宮武彦王との間の婚約と破談に至る記述があるが、「山階宮三代」と矛盾する個所がある。もっとも、どちらも何か隠しているような感じがするが。(2021/06/15)

  • ケストナーの終戦日記

    E.ケストナー

    グデーリアンの回想録では書けない事

    グデーリアンの回想録では宣伝省に依頼されてラジオで演説した事が書かれているが、「そしてドイツ軍がロシアを進軍している間、『悪魔の人焼きかまど、ガス室、その他類似の病的な空想の産物など』を自分は全然みとめたこそはない、というのだ」とケストナーが引用している事は書けない。推薦文を寄せているリデル-ハートは知らないのだろうか?グデーリアンについて書いている文章で、このおぞましい発言を触れているものを見た事がない。グデーリアン将軍は「零時」の後に知ったかのように書いているが「悪魔の人焼きかまど、ガス室」という言葉を言及しているから、少なくとも連合国軍側の宣伝くらいは当然、知っている。ヴラーソフの部隊がアメリカ軍に派遣した軍使も出て来る。どこの部隊だろう?(2019/01/13)

  • 最終戦 Der Endkampf um Deutschland:1945.1945年ドイツ

    ヴォルフガング・パウル

    パウル・カレルのように注意して読むべき

    デーニッツ提督が「零時」の後、「SS関係者の多数が海軍編入を望んでいるということが問題とされ、デーニッツはそれを承認した。国防軍最高司令部は三軍を同じ条件下におくべきなのである」(393頁)という個所はグイド・クノップの「ヒトラーの共犯者」上巻363頁の「戦闘は終わった。いまや重要なのは痕跡を消すことだった。多くの親衛隊将校が海軍のなかにもぐりこんだ。前アウシュヴィッツ強制収容所所長のルードルフ・ヘースもまたかくまわれた」という個所と一致するので、実際はこの本もパウル・カレルのように注意して読むべき本なのだと思う。
    「指導部は兵たちにかくれて大量殺戮をなし、ユダヤ人を根絶し、かずかずの戦争犯罪を犯したのだ」(307頁)と書かれている。しかし「退役装甲兵将軍ヴァルター・K・ネーリングは積極的な忠告を惜しまず」とあるが、「ヨーロッパ・ユダヤ人の絶滅」上巻490~491頁に書かれているようにチュニジアのユダヤ人を強制労働に駆り出す命令を発した人物であり、「総統誕生日のパレードは東エーゲ海ロードス島の守備隊がやった」(302頁)が、この部隊は同書下巻23~24頁に書かれているように1944年にロードス島のユダヤ人をアウシュヴィッツに送っている。(2017/08/18)

  • 幻影 ヒトラーの側で戦った赤軍兵たちの物語

    ユルゲン・トールヴァウト 松谷健二

    ロシア語も出来る人が改訳してほしい

    今でも「ロシア解放運動」をまとまって日本語で読める本は、これしかない。しかし登場人物の写真がないのが不親切だ。ヴラーソフ将軍の写真なら割と見かけるが、主要な登場人物兼情報源のヘレ大佐の写真はゲーレン将軍の回想録で、第2師団の連絡将校だった騎士十字章受章者のジークフリート・カイリング少佐は騎士十字章の佩用者を紹介した「鉄十字の騎士」(この本では彼の階級は「大尉」になっている。「二つの独裁の犠牲者」では「少佐」)に写真が掲載されているように、復刊するなら主要な登場人物の写真を掲載して、ロシア語が出来る人に改訳してほしい。
    「ベルリン陥落1945」はヴラーソフが赤軍に逮捕された時の状況が途中まで「幻影」と一致するが、ジューコフ元帥の回想録に書かれているように彼は車の中で病人のふりをしていたのが正しいようだ。この個所が、いやに小説的な記述なのは、みっともないからだろう。
    ヴラーソフの勧誘を拒絶したポネジェーリン将軍は「勝利と悲劇」に書かれているようにソ連当局からヴラーソフの一味として非難された挙げ句、1950年に銃殺された人物だと知ったので、彼の方が真に悲劇的な人物だと思う。(2017/08/18)

  • 天皇さまが泣いてござった

    調寛雅

    「通州事件版・吉田証言」

    昭和60年に故人になった入江相政侍従長が「序文」を書いているのに、例の「佐々木テン証言」は通州事件から「五十年を過ぎた今でも」(142頁。「通州事件 目撃者の証言」では84頁。「慟哭の通州」では209頁に引用されるべき個所にあたるが省略されている)とあるので、どう考えても昭和62年に書かれた「証言」であるはずだ。「通州事件 目撃者の証言」のように「一九八五年に死亡した入江相政氏が一九九七年に出版された本に序文を書いているのは不自然だ、などという批判を書いています。何の不自然なことはありません」、「慟哭の通州」のように「この証言がいつ取られたものなのかを特定する作業も重要だ。調寛雅氏の長男で因通寺の現住職・調准誓氏に尋ねると『あくまで推測なのですが、おそらく昭和四七(一九七二)年から昭和五二(一九七七)年ころに再録されたのではないか』」と誤魔化す気がしれない。その上、この本は韓国人、中国人、ロシア人やキリスト教徒に対する強い偏見を感じる。(2017/08/18)

  • 日本の聖書-聖書和訳の歴史

    海老沢有道

    「日本の聖書」について

    この本の存在は田川建三氏の「書物としての新約聖書」で知った。ここで書かれているように著者はキリシタン時代の専門家なので、この時代については詳しい。本当にどこかで慶長版新約聖書が見つかって公刊されたら、一度読んでみたい。
    著者は明らかに昭和58年に出た「門脇文庫 日本語聖書翻訳史」の存在を無視していて、門脇清氏が「門脇文庫 日本語聖書翻訳史」で訂正している箇所ですら言及していない。おそらく「日本の聖書」は大正改訳どまりだが、「門脇文庫 日本語聖書翻訳史」は不評だった共同訳新約聖書まで取り上げていて、それ以外の邦訳聖書及び若干の注解書(田川氏が自分が書いたマルコ伝の注解書を取り上げていないので「下劣な党派性」云々と書いているが、それならば氏が翻訳に関わった「聖書の世界」と「聖書外典偽典」も出てこないのを何故指摘しないのだろうか?)についても触れられているのもあるが、門脇氏が専門家ではないのも一因だと思う。これが、この平成元年に出た講談社学術文庫版の「日本の聖書」の最大の欠点だ。(2016/07/27)

V-POINT 貯まる!使える!