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著者 | 山城むつみ |
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出版社 | 講談社 |
ジャンル | 文芸書 |
ISBNコード | 9784062097413 |
登録日 | 2010/09/16 |
リクエストNo. | 51406 |
リクエスト内容
メタローグ
前著『文学のプログラム』において山城は、「日本語で考える」ことそれじたいに不可避につきまとう偏光を直視した。その認識を経た実践としてブリューゲルを端緒に中野重治を主に論ずる本書は、日本語による明晰な分節化を逃れるように飛躍を重ねる。そこで強弁される「卑しさ」と「人間」の不可分な姿や「倫理」は、それらが〈理屈でも屁理屈でもなく〉伝わる点において、前著を経た著者と幸福な一致をみている。それでも本書の魅力はなお、そこから敷衍された巻末の二篇の詩論に示される、社会構造を論理化する欲求の根底で「コトバの論理化」を希求して止まない批評家山城の姿にこそあるのだ。(市川真人)
『ことし読む本いち押しガイド2000』 Copyright© メタローグ. All rights reserved.
出版社/著者からの内容紹介
中野重治、椎名麟三、吉本隆明、福本和夫、萩原朔太郎……
内部の論理を社会の現実と拮抗させうる場所はどこにあるか
期待の俊英の長編評論
フォイエルバッハに関するテーゼにおいてマルクスは唯物論の、観照(理論)から活動(実践)への、受動(情念)から能動(行動)への、説明から変更への転回を定式化しているが、唯物論のこのマルクス的転回には、たとえば椎名麟三が死をめぐる倫理的葛藤(ペシミズム)の末たどりついたような「たたかうユーモア」が必要なのだ。それなしには、唯物論はいつまでも「世界」を即物的に解釈しつづけるだけだろう。そこからは「世界」を「変える」実践は出てこない。「政治的な社会的な諸問題に対してほんとうにたたかって生きて行くということ」が出てこない。「コラムニスト」でありマテリアリストであるには、認識論上の切断ではなく、椎名が「ユーモア」と呼ぶ倫理的な転回が不可欠なのである。――本文より
内容(「BOOK」データベースより)
中野重治、椎名麟三、吉本隆明、福本和夫、萩原朔太郎…内部の論理を社会の現実と拮抗させうる場所はどこにあるか。期待の俊英の長編評論。
内容(「MARC」データベースより)
中野重治、椎名麟三、吉本隆明、福本和夫、萩原朔太郎…。内部の論理を社会の現実と拮抗させうる場所はどこにあるか。『群像』に連載の評論を単行本化。
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読後レビュー
NEWS
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2010/09/16
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ぽたろー