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著者 | Anton Drexler (アントン・ドレクスラー) |
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出版社 | Deutscher Volksverlag |
ジャンル | 専門書 |
登録日 | 2008/07/15 |
リクエストNo. | 42852 |
リクエスト内容
1919年初版、1920年再版、1923年第三版、1937年覆刻版。2000年代に第三版写真製版覆刻。2009年米国にて第三版英語訳出
錠前屋のアントン・ドレクスラーは、国家社会主義ドイツ労働者党(NSDAP)の創始者にして、一応は(離党し、復党しているが)名誉総裁(党での席次は、ヒトラーより上座になる)、ヒトラー総統に当該パンフレットを手渡し、強引に、ナチスの前身である「獨逸労仂者党」へ入党させた人物として名を残す。
此の小冊子は、敗戦后のヒトラーに感銘を与え、小政党に入党させた理由の一ツとされる。即ち、実につまらない思想的にも学術的にも非常に浅いパンフかも知れぬが、この、くだらぬ小冊子が無ければ、ナチズムは生まれていなかったのかも知れないのだ。「我が斗争」に、当書の事が書かれているが、名前のみ伝わり、日本国内で其の内容を読んだ人は皆無なのではなかろうか。初版は、五十数人しか党員が所属しないミニ政党用に出版された為、ナチス時代から大変な稀覯本であり、SA(反共突撃隊)によるコブルク事件の後に出版された版も、最古参の党員が所蔵する程度の稀本であった。
氏の様な(権力を奪われ)祭り上げられた創始者は、独裁国家に於いては、往々にして粛清の対象となりかねないが、ヒトラーが政権を握った後も、ナチ党の記念絵葉書等に稀に登場し、細々と生き延び、ヒトラーの支持者として、大戦中の1942年に歿した。忘れ去られた等と言われているが、実際には、党機関紙のフェルキッシャー・ベオバハター紙には死亡記事が出ており、総統も、形式的かもしれないが一応の敬意を払っている。ドレクスラー氏は、無能との評もあるが、実際には様々な右翼団体を組織したり、地方議会の議員になったりと、かなり活発な人物だったと思われる。何しろ、ヒトラーの天才的(悪魔的?)才能を最初に見抜いたのであるから、並々ならぬ人物だったのだろう。氏は、乗っ取られたとはいえ、自分の始めた党が政権を奪取し、欧州大戦を引き起こした様を見て、どう思ったのであろうか?
当方、1920年版等を四冊入手出来たが、残念ながら独逸語が読めぬ為、(研究者の為にも)当書を是非とも翻訳の上、日本で復刊して欲しい。その為には、今回入手したテキストを貸与しても構わない。どこか、こういった企画に乗って呉れる出版社様、いませんか?
投票コメント
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オリジナルの1920年8月版と1923年4月版、1923年写真製版覆刻版と2009年英語復刻版を入手しました!1920年版は、未だ党首がドレクスラーの時代です。翻訳したい人がいらっしゃれば、無償貸与します。ちなみに、1923年版は、表紙が二種類存在する様で、題名一行目にMein politischesと二単語となっているタイプ(1920年版に同じ。ごちゃごちゃと当該出版社の他の書籍の広告が掲載されている)とMeinのみのタイプ(おそらく改訂版であり、広告が無い。独逸国内で写真製版復刻されている)が確認出来た。1920年版と1923年版の違いについては、1920年版ではドレクスラーの肩書が何も書かれていないが、1923年版では、肩書として国家社会主義ドイツ労働者党創始者にして名誉総裁と書かれ、緒言が追加されている。最終版となる1937年版には、背広姿の写真が一葉掲載されているらしい。研究によれば、ヒトラーの「マインカンプ」と云う題名は、ドレクスラーの当該書目の題名に影響を受けているとの事です。チョビ髭が、フェーダー博士に影響を受けたと云う説が有力なので、これもそうかも知れませんね。 (2008/07/15)GOOD!1
読後レビュー
NEWS
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2008/07/15
『Mein politisches Erwachen (我が政治的目覚め)』(Anton Drexler (アントン・ドレクスラー))の復刊リクエスト受付を開始しました。
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伊部星鈴