| 著者 | 高橋悠治 |
|---|---|
| 出版社 | 青土社 |
| ジャンル | エンタメ |
| 登録日 | 2002/08/08 |
| リクエストNo. | 11553 |
高橋悠治の1974年から77までを軌跡づける文章集。
収録文章は以下の通り。
・「非楽の楽」(74年の作品について)「電子楽器の構想」「ロベルト・シューマン」「過去という武器」「つま恋村にて」「ジェフキー・エピソード」「外側からの視点」「ミズーク・アンサンブルからの広告」「ピアノ奏法について」「クセナキスの光と音」「かくれて生きよ」「なぜピアノをやらせるのか」「ナベを持って一人」「シカがつらなりゆくように」「ミズーク・アンサンブル失敗記」「偏食記」「何を書こうか」「テリー・ライリーの音楽」「複製の自由」「冷たい外気へ」「ウェストサイド物語」「バッハと現代」「民族文化をめざして」「音楽教育改革のために」「月光の曲」「島のうた、島のこころ」「どこに書くのか」
たとえば「非楽の楽」をひもといてみよう(252頁)。
「「非楽之楽」(一九七四)は、オーケストラ組織の批判から出発する。[…]すべての情報を手にした指揮者と、分業で楽器のドレイとなるメンバーとの対立のかわりに、各奏者が耳と部分的指示で自己管理できるような合奏のシステムがもとめられる。オーケストラは、数人の小グループに分かれ、各グループは必要に応じて臨時のリーダーをえらぶ。グループのなかで他の奏者と自分の音を合わせ、ずらし、うけつぎ、くみあわせ、グループのあいだで合図がかわされる。自己管理はただの即興ではない。このやり方は、十分なはなしあいと練習なしにはなりたたない。
これは中央集権的なオーケストラ組織よりは室内楽の複合に近い。ただし、室内楽は対位法的な調和をめざすが、ここではちがう声がとけあうことはない。情報は個人・グループ・全体の三つのレベルに分散している。
この組織はオーケストラのメンバーに責任感を回復させ、合奏のディテールに興味を起こさせる。ひとりひとりの音と反応のするどさが全体を決定する。」
ここで語られるのは、演奏者の身体論の視点からも、情報科学の視点からも興味深い経験性についてのものである。
収録文章は以下の通り。
・「非楽の楽」(74年の作品について)「電子楽器の構想」「ロベルト・シューマン」「過去という武器」「つま恋村にて」「ジェフキー・エピソード」「外側からの視点」「ミズーク・アンサンブルからの広告」「ピアノ奏法について」「クセナキスの光と音」「かくれて生きよ」「なぜピアノをやらせるのか」「ナベを持って一人」「シカがつらなりゆくように」「ミズーク・アンサンブル失敗記」「偏食記」「何を書こうか」「テリー・ライリーの音楽」「複製の自由」「冷たい外気へ」「ウェストサイド物語」「バッハと現代」「民族文化をめざして」「音楽教育改革のために」「月光の曲」「島のうた、島のこころ」「どこに書くのか」
たとえば「非楽の楽」をひもといてみよう(252頁)。
「「非楽之楽」(一九七四)は、オーケストラ組織の批判から出発する。[…]すべての情報を手にした指揮者と、分業で楽器のドレイとなるメンバーとの対立のかわりに、各奏者が耳と部分的指示で自己管理できるような合奏のシステムがもとめられる。オーケストラは、数人の小グループに分かれ、各グループは必要に応じて臨時のリーダーをえらぶ。グループのなかで他の奏者と自分の音を合わせ、ずらし、うけつぎ、くみあわせ、グループのあいだで合図がかわされる。自己管理はただの即興ではない。このやり方は、十分なはなしあいと練習なしにはなりたたない。
これは中央集権的なオーケストラ組織よりは室内楽の複合に近い。ただし、室内楽は対位法的な調和をめざすが、ここではちがう声がとけあうことはない。情報は個人・グループ・全体の三つのレベルに分散している。
この組織はオーケストラのメンバーに責任感を回復させ、合奏のディテールに興味を起こさせる。ひとりひとりの音と反応のするどさが全体を決定する。」
ここで語られるのは、演奏者の身体論の視点からも、情報科学の視点からも興味深い経験性についてのものである。
投票コメント (全11件)
2002/12/02
2002/12/02
2002/08/08
2002/08/08
2008/03/08
2008/03/08
2005/07/03
2005/07/03
2005/01/14
2005/01/14