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あの本のタイトルが知りたい

  • 2008/04/06(返答 3件)

    受付中

    「言葉」について。もしくは、「悲劇」について書かれた本です。

    本の一部と思われるメモ書きが出てきたのですが、何の本か分かりません。(もしかしたら、何かのテキストかもしれないくらい曖昧です…)
    自分の書いた文章でないことは確かなので、知っている方がいれば、教えていただきたく投稿しました。メモ書きは以下の二つです(この二つが同じ本か別の本かどうかも分からないです)

    ~人間の感情は、ことばにされた瞬間に特定の「意味」に限定され当初の思惑とは別個に一人歩きしてしまう。しかし一方でそれによって初めて自らの想いが形となり、両者の間に共用されるという側面もある。つまり、ことばは、相手に伝わってもいけないし、伝わらなくてもいけないのだ。~

    ~人は必ずしも、周囲に明確な説明ができるような悲劇を生きているわけではない。むしろ、「悲劇」を生きようとして果たせず茫然とした敗北感を生きるしかすべのない〈だるい喪失感〉にこそ、時にはより本質的な「悲劇」が孕まれているのだ。~

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  • 回答
    No.1

    「言葉」について

    たまたま今読んでいるエッセイに、メモ書きの内容(「言葉」についての方だけですが・・・)と似たようなことが書かれていたので、ご参考までに。

    『孔雀の羽の目がみてる』(白水社)by蜂飼耳

    エッセイ集です。以下、メモ書きの内容と少し似ているかな? と思った箇所の引用です。
    「たとえば詩を書こうというとき、言葉の出てくる手前すれすれの時空は濃密だ。ぎっちり詰まっている。これを、早くなんとか、と思う。が、一度言葉に置くと、言葉と言葉のあいだに落ちて、ふたたび上がって来ないなにものかがある。瞬間的に敢えて棄てていることもあれば、うっかり落としてもどらないこともある。(中略)言葉は感覚の屍体だろうか。言葉は、感覚の元栓でもあるけれど、場合によっては屍体なのだろう。

    言葉が「一人歩き」という部分とはニュアンスがずれますが、どちらも言葉を信じてアテにし過ぎると足もとすくわれますよ、という感じのことを言っているように思ったので、一応書き込ませていただきました。違ったらごめんなさい。
    ちなみに、著者は安藤忠雄のインタビューに触発されて上記のようなことを考えたみたいです。引用箇所の少し前の部分で安藤忠雄の言葉を引用しているので、それも一応書いておきます。
    「けれども肉体が知るのは感覚的なもので、後々に時間が過ぎる中で自分なりに言葉に置き換えられるようになってくるわけです。でも言葉に置き換えられるようになってきたら、人間て終わりなんですね、老境に入っている。」
    安藤忠雄の言葉は、『生きる力を育むために』(時事通信社)江川紹子編という本からの引用のようです。

    まこりん まこりん

    2008/04/10

  • 回答
    No.2

    蛇足・・・

    蜂飼耳さんは、あさりもしじみも好き、どっちがより好きかはよくわからないとも書いています。あさりとしじみは、言葉と言葉に託して伝えたい何か、と置き換えて読んだらいいかと思います。
    蜂飼さんの文章では、感覚で捉えたものを言葉にした先に、それを受け取るであろう「相手」への言及がないのかな・・・。
    メモ書きの内容はもう少しコミュニケーションの可能性に重きを置いているのかもしれませんね。

    まこりん まこりん

    2008/04/10

  • 回答
    No.3

    ありがとうございます

    まこりん様

    『孔雀の羽の目がみてる』は詩を書くなど、作品の表現としての言葉について書かれているのでしょうか。メモ書きとは違いますが、似ているテーマのようで興味があります。
    情報の提供ありがとうございます!

    ma_ri5 ma_ri5

    2008/04/13

回答受付は終了しました。

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