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書物復権によせて


◆ 書物復権によせて

高山裕二

つんどく。わたしが学生のときはよく使われていたが、今の学生に聞いてみると、あまり使うことはないらしい。いまや、死語になりつつある言葉なのだろうか。
「つんでおく」という意味に、読書の「どく」をかけた洒落言葉で、国語辞書を繰ると、「書物を買い集めるだけで、読まずに積み重ねておくこと」とある(『大辞泉 第3版』)。本屋に行けば、いろんな本が欲しくなって、すぐに読めないのについ何冊も買い求めたくなる。そして、家の机や床に未読の本が積み重ねられていく。しかも学生であれば、古典と呼ばれる哲学書を一度は読んでみたいという欲求に駆られて、いきおい積み重なる本の数は多くならざるをえない。そのうち、古典をもっていること自体がひとつのファッションになって、買うだけで読まないのが当たり前(!)、などということもかつては稀ではなかった。“つんどく”は、この逆説を皮肉った言葉として広がったのだろう。裏を返せば、この言葉が巷間に溢れていた時代は、古典がまだ力をもっていた「教養主義」の時代だったのかもしれない。
わたしが学生の頃、本を買って読まない、それどころか、それで読んだ気になっている態度を皮肉る、といったニュアンスがその言葉には確かにあった。当人の側でも、みずからの怠惰を告白するかのように、なかば開き直ってそれを使っていた。ところが、この「開き直り」が案外重要なのではないか、わたしはあるときからそう思うようになった。というのも、人間の読書量は限られているので、読める本だけを手元に置いておいたのでは、自分の本(知)の世界は限りなく狭くなってしまうからだ。逆に、読めなくても自分が必要と思ったとき、必読だと人に薦められたときに買っておけば、本当に必要なとき、読む気になったときすぐに読める。かつて梅棹忠夫氏が、本を1回読んだあとに積んでおいて2度読む“方法”を提唱したが、少しずつ部分的に読むだけでもいい。ときに頁を繰って目次を見るだけでも、自分の知識の引き出しが多くなり、整理される。手元に置いておけば、“つんどく”時間が長いほど、その本への愛着も生まれると いうものだ。だから、長く読み継がれてきた書物が復刊されたなら、この機会に、たとえ読まなくても買っておかない手はない。
もっとも、「読書家」であれば“つんどく”などせず、次から次へと読破していくだろうから、これは「読書家」ではない人間の<怠惰への讃歌>にすぎないのかもしれない。



◇高山裕二 … 1979年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。現在、明治大学政治経済学部専任講師。著書に『トクヴィルの憂鬱』(白水社、2012年、第34回サントリー学芸賞/第29回渋沢・クローデル賞受賞)など。



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