書物復権によせて
山下貴史
「書物復権」に何か書いてください。なぜ私に? 「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」をここ数年忠実に実践しているこのわたくしに? しかし宴席の勢いに呑まれて引受けてしまった。やらかしてしもうた。何から手をつければいいのやら皆目見当がつかない。手掛かりを求めてとにかく埃を被った我が積読山に面と向き合うことから始めてみた。地崩れを起こさぬように少しずつ掘り進めていく。根気のいる作業だ。森を見ずに一本一本木を見ていくしかないぞ。本棚最奥3列目の文庫が見えてきた。床上の壁際のさらに最下段に追いやられていた単行本も姿を現す。おっ、帯に復刊の文字が見える。いくつも出てくるぞ。復刊フェアを見かけると全点買っていたのを思い出した。帯捨てなくてよかった。これでいこう。
【一品目】「HPB(ポケミス)1600 番突破記念復刊」(全20点、1993年、早川書房)。
カラフルなビニールカバーの背表紙と、黄色の天地小口がずらりと並ぶ棚に心躍らせた人は少なくないだろう。「お手許に綺麗なままの本をお届けしたく、こんな簡単な函を作ってみました。いわば包装紙がわりです。お買上げ後には、お
捨て下さって結構です」とのことで函入りにて登場。いやいや捨てません、捨てられません。このたびの久々のご対面で真っ先に姿を現したのは、130番『悪魔のような女』。なんか怖い。裏表紙では、ボアローとナルスジャック、作者のお二人が揃って口の端にタバコをくわえている。萌える。ポケミス初期のラインアップの選定には江戸川乱歩のほか、田村隆一も関わっていたそうな。また当初は99 番までを古典作品に割り当て、全500巻で完結の予定だったという。今や2000番を突破した、世界最長のミステリ・シリーズ「ポケミス」。他レーベルと併走しながら、今なおミステリのバトンを繋いでいる。継続する力動、新生と再生を同時に果たすその存在は稀有にして心強い。だからいつまでも、「あなたにそこにいて欲しい」
【二品目】「新潮文庫の復刊」(全100冊、1993年11月~1994年11月〔全7回〕、新潮社)。
謳い文句は「名著に親しむ絶好のチャンス!!」国内作品はえんじ色、海外作品は藍色。クリーム色の地。控えめな彩度の表紙からなる装幀が心地良い出会いを予感させる。古今東西の、昭和20 ~ 30 年代発行の作品が主で、当時のままの字体であることも相俟って、寡黙な熟成された雰囲気を纏う。まさに名著たる佇まいを感じさせる。
その固有名は知りつつも、ほぼすべての本とここで初めて出会った。そのうちの一冊、ジャック・シャルドンヌ『愛をめぐる随想』を引用する。「この半世紀における世のうつり変りは、それに先だつ一千年のあいだの変遷よりも甚だしい。人情は日々にすがたを変え、科学や技術はわれわれに目まぐるしい思いをさせる。五十歳の人は、相異なる二つの世界に接してきたわけである」。「ところが彼は、しん底から相変わらずの元のままであり(…)彼の身にはほとんど何ごとも起こってはいないのだ」。この後妙なる省察が続くのだけれど、これは1930年頃フランスで紡がれた言葉。こんな言葉に出会えたとき、投壜通信をこの手のひらにしっかりと受けとめた切なる喜びを感じる。
【三品目】「復刊文庫 偉大なる不良たち」(1992年、角川書店)。
ボードレール、ランボオ、コクトー、バタイユ、フィッツジェラルドといった、個人的に好きだった作家がてんこ盛り。「偉大なる不良たち」と謳われているのを見て心惹かれずにいられようか。池田満寿夫の線描画タッチのカバー装画が不良感と狂気の息吹を盛り立てる。『マルドロールの歌』には、著者像にダリによる想像のロートレアモンが使われているのもたまらない。そしてなぜかカフカ『アメリカ』とは二冊と再会した。違う書店のカバーを纏っているのだが、その二度の出会いの場、どちらの書店も今はない。
これらのフェアは、ほぼ1950、1960年代に発刊された本を1990年代に復刊したものである。時々の時代状況と併走する書籍業界の変遷に思いを馳せるとともに、その時代に復刊書物と出会ったことによる影響の痕跡をわたし自身の中に見出した。そもそも、あのとき自分はなぜその書物に惹かれたのだろうか。今この復刊書物と再会した場で、私はマドレーヌの香りを嗅いだ。その香りは、初めての出会いのときに、既に、確かに感じた香り。そして今ここに立ち昇ったのもまた生まれたての赤ん坊の無垢で清新な香りなのだ。それでは、あのときの香りはどこから流れてきたのだろうか。「復刊」と呼ばれるその本の背後に、本のそして人間の、不死鳥のごとく蘇る生命の力、永続性そのものを感じとっていたのだと思う。その力は、一人の人間の存在と呼応する、人類全体の存在を告げ知らせていた。その場に証され再び現れるのは、何者かの権利でなく存在そのものだ。だから私は「書物復権」を心の中で、ただ「書物復刊」と呼んでいる。私にとっての「書物復刊」。それはいつも、新生したものとの出会い、今このとき生きている生命そのものとの出会いである。
◇山下貴史…京都大学生協ルネ/人文書・文芸美術書担当。




