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書物復権によせて

小川公代

ハン・ガンがアジア女性初のノーベル文学賞を受賞したが、私は済州島四・三事件をモチーフとした『別れを告げない』(白水社)を読み終わって、これがハン・ガンによる文学の最高到達点なのかとじんわり胸が熱くなった。主人公の女性キョンハが友人のインソンと彼女の母親の記憶に寄り添いながら朝鮮半島の現代史上最大のトラウマというべき物語が語られている。
そのとき、ふとアメリカのSF作家アーシュラ・ル=グウィンの言葉を思い出した。ブリンマー・カレッジでのスピーチのなかで彼女はこう語っている。

私たちは火山なのです。私たち女性がみずからの経験を真実として差し出すとき、あらゆる地図が変わります。新しい山がいくつも生まれるのです。それこそ私が求めるものです。

私にとっては「書物復権」という実践は、長いこと忘れられていた山が再発見され、地図に明記される工程に似ている。なぜなら、絶版という現象は、確固として存在していたはずの書物(=声)が、いつの間にか印刷されなくなり、ル=グウィンのいう忘却された山を連想するからである。彼女は「まだ目覚めていないセント・ヘレンズ山よ、あなたの声を聞きたいのです」と呼びかけた。

奇しくも、『別れを告げない』の舞台となった済州島には韓国最高峰の火山ハルラサンがある。これまでも数々の忘れられた山々が再発見され、文学史上の地図が書き換えられてきた。2023年にはシモーヌ・ド・ボーヴォワール『決定版 第二の性』(河出書房新社)が復刊された。また、長いこと絶版になっていたアドリエンヌ・リッチの『女から生まれる』も来月復刊される予定である。ところが女性の手による書物で、復刊が望まれているものはまだ数多くある。個人的にはメアリ・シェリーの作品で復刊していいものも何冊かある。

火山繫がりでいうと、メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』が誕生した背景には、1815年のタンボラ山噴火によって引き起こされた翌年の異常気象がある。大量の火山灰が大気中に放出されたことによりヨーロッパで雨が絶え間なく降り続き、屋内にいたメアリ、パーシー・シェリーやバイロン卿たちが怪談を書くことになった。活発な火山活動は、家父長制によって押さえつけられてきた女性たちの伸びやかな生命力や創造力のメタファーでもあり、それがシェリーやハン・ガンたちの書物を生んできたと思うと感慨深い。

◇小川公代(おがわ きみよ)…1972年生まれ。ケンブリッジ大学政治社会学部卒、グラスゴー大学文学部博士課程修了(Ph.D)。現在、上智大学外国語学部英語学科教授。専門は、ロマン主義文学および医学史。主な著書に『ゴシックと身体』(松柏社)、『世界文学をケアで読み解く』(朝日新聞出版)、『ケアの倫理とエンパワメント』(講談社)、訳書にゴードン 『メアリ・シェリー』(白水社)他。

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