復刊ドットコム

新規会員登録

新規会員登録

T-POINT 貯まる!使える!

書物復権によせて

コロナ禍で変化を余儀なくされた研究生活が続き、出張ができない代わりに本を買いまくっている。家のスペースを気にしつつ、『中江兆民全集』に『ゾラ・セレクション』、ジャン・ジョ レス『仏蘭西革命史』から『フェルナン・デュモン著作集』(仏語)まで、これを機に入手した。いずれもリーズナブルな価格の古本で、ネットで注文して研究費で購入できるというの は便利で恵まれたことではある。
昔はそうではなかった。気になる本は必ず買っておけと言われても、そのための費用がなかった。留学奨学金の額面設定はよくできていて、家賃と食費はカバーできても、書籍購入までは回らない。図書館で読めというのである。史料をデジカメに収めることも、論文のダウンロードも一般化していなかった。一時帰国の際に仕入れた煎茶を淹れたら、残った茶葉に胡麻と鰹節を散らし、醤油を垂らして一皿にしていた時代の私である。複写できる本のコピー代すら惜しく、フランス語で書く力もつくからと、気になる本の一節は、ファンの音が気になるノートパソコンへの打ち込みではなく、ルーズリーフに手書きで写した。19世紀の文献はもちろん、宗教学の事典やライシテの論集、齧り読みの本からの抜き書きは長い修行時代の物的証拠となっている。
そうした時代の思い出の本を買って自分の本棚に並べることができるようになると、今度は研究に没頭できる時間が少なくなっていく。購入資金はあっても、品切れや絶版で手に入らないこともある。日本の専門書が市場から消えるスピードは、フランスよりも早いようだ。良書の復刊は実にありがたい。松宮秀治『芸術崇拝の思想』(白水社)は、近代芸術の宗教性を時代に埋め込み直して考えるよき伴侶だ。ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ』(青土社)は、宗教と世俗の歴史のなかで人間概念の変貌を考察するのに有力な補助線となる。 西洋キリスト教由来の「宗教」概念だけでは日本や東アジアは見えないと思って取り寄せた本のひとつが、溝口雄三『方法としての中国』(東京大学出版会)。私の手元に届いたのは、 いずれも書物復権で甦った版のものだ。
自分史の文脈でも、出版市場の文脈でも、回帰する書物がある。そのネットワークのなかで、昔はよくわからなかった物事の理解が進み、次第に自分の立ち位置やそこから眺める世界の景色が見えてくることがある。たんに「探す」(chercher)のと「研究する」(rechercher)ことの違いは、後者の粘着的な反復性にある。「宗教」(religion)の語源は、「再び結びつける」 を意味するラテン語« religare » と「再読する、整理する」を意味する« relegere » にあると言われる。一度交わった本と私の関係を結び直し(昔買えなかった本を買い)、その本を折 りに触れて読み返すこと。私が従事する世俗の時代の宗教学も、この意味では宗教の基本に沿った営みであり、書物復権との相性もよいようだ。

◇伊達聖伸(だて きよのぶ)… 1975年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。専門は宗教学、フランス語圏 地域研究。『ライシテ、道徳、宗教学』(勁草書房)、『ライシテから読む現代フランス』(岩波新書)など多数。

T-POINT 貯まる!使える!