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書物復権によせて

書物と食物

「しょもつ」と「しょくもつ」は似ている。まず発音が似ている。英語に翻訳しても、両方とも四個のアルファベットで構成され、真ん中にOが二つ並んでいる。でも、それだけではない。
たしかに、書物は煮ても焼いても食べられない。圧力鍋にかけても歯が立たない。さらに言えば、書物は読んでも排出されない。読書のあと、トイレに行って、吸収できなかったものを水に流すことがしたくなることもないではないが、できない。食べものは常温で置いておくと、腐っていくが、本は腐らない。食べものを買いだめしても、家を圧迫する心配はほぼないが、本を買いだめするとたとえば私の家や研究所のように人間の生きるスペースを小さくしてしまう恐れがある。
だけれども、「しょもつ」にも「しょくもつ」にも「庫」という漢字が似合う。どちらも虫が喰う。カビも生える。温度や湿度を管理した書庫と食物庫ないし冷蔵庫が必要だ。ただ書庫にも冷蔵庫にも死蔵はつきもの。それから、書物と食物も生きものから「作られたもの」である。森林と頭で書物を料理する、と考えることができる。なぜなら、書物は集めた素材を加工してノートにしてそれを読者のお口にあうように刻んだり、あぶったり、焼いたりしているとも言ってもよいからだ。良い素材を生煮えのまま食べさせる書物では、消化不良になるし、過剰な形容詞と副詞にあふれた書物は胸焼けを起こす。それに、食物を育てることも料理することも、自然物を「読む」と考えることもできる。腕のいい料理人は、市場に並ぶ食材のその日の表情を読むのが得意だ。
そして、そもそも、どちらにも味わいがある。これは、比喩ではない。食べものは、甘い、辛い、苦い、などさまざまな味があるが、本を読んだあとも舌に何か残っている気がする。つまり、読後感が食後感と似ていることがある。たとえば、私だけだと思うけれども、最近めっきり減ってしまった箱入りの本を読んだあとは、懐石料理の旨味に体が浸った後のような、少し疲れた舌の感覚がある。薄めの文庫本を読むと、近くの喫茶店でサンドイッチをかじったような気がする。ドストエフスキーは札幌ラーメンの濃厚な味噌とコーンとバターの味がするし、フーコーはクリーミーなフレンチのコースにデザートを食べた満腹感に襲われ、ドゥルーズはカラフルで新鮮で多種類の野菜のサラダの茎が喉に刺さるし、丸山眞男は、洋食屋でナイフとフォークでエビフライとハンバーグを食べたような気持になり、夏目漱石や藤田省三はざるそばを啜ったあとの咽喉越しが残る。
ちょっと強引な喩えだけれども、本棚から漂う香りにお腹を鳴らす「食書人」はもっといるはずだ。書物に、もっと味わいを。

◇藤原辰史 … 1976年生まれ。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食の思想史。著書に『分解の哲学』(青土社)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館)、『給食の歴史』(岩波新書)など。

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