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アブホーセン 聖賢の絆(古王国記)

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チャーターとフリーマジック、不評の犬

…さて、サメス王子と同行するモゲットと好対照をなすのが、ライラエルの友「不評の犬」である。モゲットとの関わりを考えるとき、この存在もまた非常に興味深い。

創世、チャーターの秩序によって世界が成り立つ以前→以後は、カオス→コスモスであるという印象を受ける。
こう考えると、チャーター魔術とは、世界に流れる気のエネルギーを、倫理を旨とした秩序の力の流れに束ねたもの、フリーマジックとは、そこからはみ出てしまった邪悪なる力、という図式が見えてくる。

モゲットは、創世以前の古きもの、善悪を超えたカオス時点からのフリーマジックの存在でありながら、無理やりチャーターの拘束の首輪に縛られた体をなしており、自由で純粋なエネルギー体であるはずの自分が、アブホーセンの力によって下僕とされ、白猫の形に押し込められたことを、激しく恨んでいる。秩序の首輪が外されたとたんに本来の力を邪悪なフリーマジックの形として取り戻し、アブホーセンにむけて牙をむく、危険な存在となるのは、そのためだ。

だが、彼の魅力的なキャラクターは、限りある生命のかたちに拘束された白猫としての形の己をも楽しんでいる、秩序を(チャーター)を、拘束するものとしては憎みながらも、それ自体は愛している、というアンビヴァレンツに由来している。固定された概念、観念としての善にも悪にも、決して捕らわれることのない、その徹底した「自然」という立脚点。

解放されたら、盲目的に荒らぶる神となってしまう自分を、再び拘束してくれ、と願うような不可思議な行動を採る彼のありよう、そこには、コスモスとしての秩序に縛られた限りある命の形の喜びへの愛、(けれど本来のカオスな無限の力と自由への憧れを失えない)という、まっすぐでありながら矛盾を孕んだ、たまらない魅力がある。

モゲットとは犬猿の仲「不評の犬」の存在の形は、これとは異なる。

彼女はやはりチャーター以前の原初のエネルギー体としてのフリーマジックとチャーターの混合体としてその存在を成り立たせているのだが、モゲットのように、チャーターに拘束されているのではなく、本来の、チャーターとフリーマジックが、善でも悪でもない、ひとつの始源であったところのエネルギーの混沌としての形をもっている。

換言すれば、それは、チャーター以前であり、チャーターの生まれ出ずる、そのアルケー、その源、その意志である、ということができるだろう。種明かしをすれば、彼女は、創世の力七聖賢の内のひとり、キベスであったものなのだ。

彼女は、何故、他の聖賢たちのように、創世された世界に瀰漫する要素としてその人格としての存在を散らさず、ライラエルに託された予言の中に犬の姿として蘇ることをひそやかに謀っていたのか。

答えは次のようなところにある。

魔術的存在であり、生きるために食べる必要はないのに、彼女はライラエルに食べ物をねだる。彼女はこういうのだ。「食べるのが好きなんですよ。」

モゲットとおなじだ。生命の、その限りある形が、好きなのだ。モゲットとのやりあいは、まるできかんぼうの弟と姉である。

常に、カオスとコスモスの狭間に接した「古きもの」。

秩序への意志を重んじてみせる代表する犬と、荒ぶる面を代表してみせるモゲット。同じ要素を表裏一体のものとしてもちながら、彼らはまるで、荒ぶる神スサノオと秩序の神アマテラスの姉弟さながらの関係にある。

…さて、この「犬」を生じさせたライラエルである。

先見の種族の中に生まれながらその能力を持たず、代わりに唯一無二の過去見の能力を持つことになるライラエルは、創世記の神話、預言のその力が尽きてしまうひとつの滅びのときにうまれ、先見が効かなくなる時代に、過去から汲み取った新しい未来への手立て、その意志と希望を、次の新たな時代のために見つけだし、行使する。新しい物語、新たな神話を作り出す存在だ。

彼女が過去見の能力で見るのは、冥界の流れの行き着く果て、個体の終わり、永遠の死の宇宙、生命の外、過去と未来がひとつとなる彼岸、星々の広がる宇宙だ。犬は、ライラエルの目覚めを助け、叱咤激励し、育て、孤独な彼女のかけがえのない唯一の友となる。

そして、ライラエルの永遠の友人でありつづけることを誓い、封印のための最後の戦いで、再び、創世の際と同じその力をふるった後、犬のかたちとしての命を冥界へと散じる。代わりに、オラニスの一部を埋め込まれ操られで犠牲となった、サメスの友人ニックを、冥界から救い上げる。あたたかな、希望の未来、命の世界にむけて。

ニクスの作品は、暗い厳しい試練に満ちた苦い読書でありながら、常に、未来への希望と明るさを暗示させるほのかに清々しい余韻を残す。

2014/04/11