| 著者 | 高橋信次 |
|---|---|
| 出版社 | 光書房 |
| ジャンル | 専門書 |
| 登録日 | 2011/01/08 |
| リクエストNo. | 52371 |
現代の仏教、キリスト教の神理は、ながい歴史的な過程のなかに埋没してしまったといってもいいすぎではありません。それは時の権力や宗教家達の智と意によって解釈され、学問、哲学と化し、人びとの心から遊離してしまったからであります。本来、仏教もキリスト教も、人びとの心から遊離するようなそんなむずかしいものではありません。なぜなら、教えそのものは、人間の心とはこういうもの、人間とはこうしたものなのだということを誰にも分り易く説いているからにほかなりません。智情意の情とはどういうものかといいますと、情とは心です。心があってはじめて、智は智慧となり、意は大我となるのです。その情が不在となり、仏教もキリスト教も智と意で勝手に解釈され、自分の都合のいいように書きあらためられたものですから、いよいよもって民衆の心から離れていったわけです。もっとも、それにはそれだけの理由はありました。人間は、五官や六根に左右されるように一面においてできているからです。自己保存の念が社会生活を営むことによってますます強よくなっていったからです。闘争と破壊――。その原因をたずねれば、みんなこうした欲望にふりまわされたところにあります。ところが、こうした欲望や本能というものは、人間の生活がこの世だけと自ら限定してしまうところに根本的な理由があったといえましょう。手にふれるもの、眼に見えるもの、耳で聴くものなど感覚の世界にしか人間は、これを認知することができないために、人は現世に執着を持つようになってしまったのであります。しかし、人間は死んでも来世に生きつづけていることを知れば人びとの人世観はかわる筈です。即ち、あの世は厳然としてあるのであり、あの世こそ本当の人間の住む世界であり、この世はあの世への人間修行の場であり、そうして人間はあの世、この世の転生輪廻をくりかえすことによって、魂の浄化、仏性である己の本性に目覚めるものなのです。苦しみ悲しみの原因は神性仏性の己自身の「心」から離れた想念行為の結果であり、その苦しみから解放されるには己の心を直視し、心そのものの実体を認識する必要があるのであります。本書は、そうした意味で「心」とは何にか「正法」とはどういうものか、「人間」とはいかなる存在かを概念的ではありますが、そのポイントをしぼり、書いたものです。
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2011/01/08
2011/01/08