| 著者 | 竹村健一 |
|---|---|
| 出版社 | 関書院 |
| ジャンル | 文芸書 |
| 登録日 | 2001/06/22 |
| リクエストNo. | 4575 |
1955年 関書院発行
現在、全著作は550冊を数える竹村健一の初めての著作。
竹村健一がアメリカでのフルブライト留学の後、帰りにヨーロッパを周り、インド、香港を経て帰った。その記録かと思う。
以下、竹村健一「これだけメール」NO.168 2002年4月20日発行
マスコミ生活50年を語る―その1 竹村健一談
なぜ1500円で世界を周れたかをもうちょっと紹介しますと、1952年に『英文毎日』に入って、
そのおかげで、実は私はもう新聞記者として活躍していたので、
52年の秋にフルブライトの留学生の試験に通ったわけです。
53年の春に大学を出たと同時に、7月、アメリカに行って1年半、
54年の暮れまでアメリカ、そして帰りにヨーロッパに周って日本に帰ってきて、1955年の1月には毎日新聞社に復社して、
それからずっと仕事をはじめた。そのときに初めて出したのがこの本です。
(「これだけメール」編集部の許可を得て転載しています。)
現在、全著作は550冊を数える竹村健一の初めての著作。
竹村健一がアメリカでのフルブライト留学の後、帰りにヨーロッパを周り、インド、香港を経て帰った。その記録かと思う。
以下、竹村健一「これだけメール」NO.168 2002年4月20日発行
マスコミ生活50年を語る―その1 竹村健一談
なぜ1500円で世界を周れたかをもうちょっと紹介しますと、1952年に『英文毎日』に入って、
そのおかげで、実は私はもう新聞記者として活躍していたので、
52年の秋にフルブライトの留学生の試験に通ったわけです。
53年の春に大学を出たと同時に、7月、アメリカに行って1年半、
54年の暮れまでアメリカ、そして帰りにヨーロッパに周って日本に帰ってきて、1955年の1月には毎日新聞社に復社して、
それからずっと仕事をはじめた。そのときに初めて出したのがこの本です。
(「これだけメール」編集部の許可を得て転載しています。)
投票コメント (全5件)
2005/09/24
2005/09/24
2020/05/13
2020/05/13
2006/04/02
2006/04/02
2003/08/12
2003/08/12
2001/06/22
2001/06/22