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世界史ノートⅠ

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駿台80周年記念誌掲載文(参考)

世界史科 村山先生

80年史を刊行するので一文を寄せてほしいとのこと。そこで参考資料に集められた沢山のアンケートに目を通した。拝見してたいへん感動したのは、30有余年も前にここで学んだ諸君の中に私の拙い講義を未だに記憶に止めている方が少なくないということである。それは昭和30年代から40年代にかけてのことで、私の名前を記憶して下さっているだけでも望外であり、「冥利に尽きる」というのほかない。

瞑目するとあの教室を埋め尽くした少年群、質問と称して次々とやって来てさまざまな無理難題をもちかけた紅顔の少年たちの白皙の面影が目に泛ぶ。私の印象に残っている学生諸君はおしなべてたいへん行儀がよく、言葉遣いが丁寧で、何よりも清潔な感じの諸君が多かった。(ホントかね?)という声がきこえるようであるが、私はことさらに美化しているわけではない。私が講義を担当した期間、無論例外もあったと思うが、ほぼこの印象を裏切られたことはない。わがままな私がともかくこれだけの長い期間、何とか無事に講義を続行できたのは、一にも二にも聴講の諸君たちによってかもし出だされた雰囲気のたまものである。この人たちの目の光りにこたえるよう充分準備して全力投球しようという決心になったのだから不思議である。教師対学生のこうした状態が禅の「さい啄一機」という境地に近いのではなかろうか。

私は毎週講義のはじめに、相手がそれをきくことで目が覚めるようなおもいをする一つのトピックを提供することにした。そのトピックで否応なしに相手に「知的緊張」を強制するのである。結果としてはこれがたいへん奏効したようであるが、しかしこの方法が成功するためには私自身が事前に充分に準備しなければならない。たかのしれた予備校の講義くらいに大仰のことを言うな、とある友人に嗤われたことを、いまはじめて告白しよう。私は長い人生航路でいろいろな高校・大学(国立・私立)で講義も講演も引きうけたが、一番こわかったのはここ駿台生との勝負であった。(そう、いまでも私は教育の本質は一種のさい啄一機だと確信する)

それでは毎週講義のはじめにどのようなトピックをとりあげ、それをどのように発展させていくか、一つだけ具体的に例示してみる。最近(97年11月)日本とロシアの首脳が会談した「クラスノヤルスク」というシベリアの一都市がある。日本とロシアの間に介在する未解決の重要問題の一つは領土問題である。そして国境紛争、領土の画定、という問題は古来世界史上の大きなテーマである。

この機会に関連する事項を少し復習してみよう。そこで私が質問する。(ばあいによっては最前列に座っている諸君の一人、仮にA君を指名する)とたんに教室がしーんとしてしずまりかえる、緊張を強制される所以。

(1)中国がはじめてロシアに対して対等の立場で結んだ国境に関する条約名を言って下さい。(答、1689年ネルチンスク条約)。次はB君に(2)そのときのロシア皇帝は?(答、ピョトル大帝)。中国の王朝名と皇帝は?(答、清/聖祖康熙帝)という具合にたたみかけるともう教室はそれこそしずかなること林の如し、である。ついでに「アイグン条約」と「北京条約」は?というようにロシアの東方進出プロセスを少しまとめてみるわけである。こうしてある程度諸君との交流がすすんできた結果、分かったのは概して諸君の勉強は地域で言えば内陸アジア(中央アジア)、西アジアについて不足している。時間的にみれば近現代、ことに現代史の部分に欠落がある。そこでこれを補強する意味で冬期講習15時間をこれに充当することにした。共同通信社と提携して最新の史料をもらって教材を作成したり、苦心したが企画としてはよかったと思っている。

神田孝夫先生に「あなたはカリスマ的教祖だよ、ここをやめて一派を開いたら」とからかわれたことがある。神田孝夫先生は世界史の参謀役ー。東大美学出身、いつも適切な助言をして下さった敬愛する恩人。世界史が好評をうけたとすればこの神田先生のご指導が大きい。天才的な頭脳の持主。平成8年9月に亡くなられた。不世出といわれた碩学、神田喜一郎先生令息。以下字数の関係で略。(平成9年11月10日 記)

2012/12/14