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図説 中国後宮大全 皇帝・后妃・宦官・宮女の世界
島崎晋
| 著者 | 島崎晋 |
|---|---|
| 出版社 | 原書房 |
| 判型 | A5 |
| 頁数 | 280 頁 |
| ジャンル | 専門書 |
| ISBNコード | 9784562077106 |
始皇帝から清末までの中国後宮の歴史を、約130点の写真や図版とともに紹介。皇帝・后妃・宮女・宦官をめぐる歴史的事件はもちろん、制度や生活、宮廷文化など、後宮の実像を幅広くわかりやすく解説したフルカラー歴史大全。
プロローグ
第1章 古代の後宮と事件簿
--始皇帝の母を虜にした巨根男
--東方六国の美女を独占しながら、なぜ皇后を置かなかった?
--始皇帝の死を極秘とし、政権を掌握した趙(ちょう)高(こう)
--嫉妬心から寵姫(ちょうき)の手足を切断。外戚(がいせき)政治の嚆矢(こうし)となった呂后(りょこう)の闇
--1人の公主に始まる後宮のドロドロ劇
--最盛期のはずが。武帝の後宮は問題だらけ
--皇帝を依存症にさせた妖艶な美人姉妹
--宮女の結婚・妊娠・出産はざら。前漢時代の男子禁制は緩かった
--皇帝の墓守は殉死よりも過酷だった
--偉人として歴史に名を刻んだ宦官。司馬遷と蔡倫(さいりん)
--二刀流の皇帝たち。「断(だん)袖(しゅう)」の語源となった漢の哀(あい)帝(てい)は「後庭(こうてい)」を愛した
--後宮秘伝の避妊具「了肚貼(りょうとてん)」と避妊法「蔵(ぞう)紅花(こうか)」
--後漢の皇帝はどうして宦官の専横(せんおう)を許したのか?
--蜀漢(しょくかん)と孫(そん)呉(ご)の滅亡を速めた宦官・黄皓(こうこう)と岑昏(しんこん)
--西晋の武帝は夜の相手選びを羊に任せた
--「子貴母死(しきぼし)」。外戚の専横を防ぐため新皇帝の実母を殺害
--后妃による皇帝暗殺。東晋(とうしん)の孝(こう)武(ぶ)帝(てい)は酔いに任せた冗談で落命
--男漁りに精を出した北斉(ほくせい)の胡太后(こうたいごう)
第2章 隋唐代の後宮と事件簿
--隋の独孤(どっこ)皇后(こうごう)は大変嫉妬深く、隋の文帝は他の妃と会うことさえできなかった
--隋の煬(よう)帝(だい)は父の文帝を殺め、その寵妃をわがものとした
--煬帝を楽しませるために造られた三種の神器「御女車(ぎょじょしゃ)」「任意車(にんいしゃ)」「烏(う)銅鏡(どうきょう)」
--宦官も結婚ができた!
--世界帝国の後宮には異国出身の女性もいたのか?
--起床就寝は何時頃だったのか? 時間の管理者は?
--太宗(たいそう)の後宮にいた則天武后(そくてんぶこう)がどうして高宗(こうそう)の後宮に入れたのか?
--則天武后はライバルを追い落とすためわが子を手にかけた!
--玄宗の女性の好み
--「後宮の佳麗三千人」は誇張どころか控え目な数字だった!
--玄宗はなぜ宦官の高力士を重用したのか?
--胸の谷間を見せる装束は本当にありだったのか!?
--唐の衰退を決定づけた甘露(かんろ)の変
--纏足(てんそく)流行のきっかけとなった南唐(なんとう)の寵妃
第3章 宋・金(きん)・元代(げんだい)の後宮と事件簿
--宮女たちは纏足で不自由なかったのか?
--毒見役は遅効性の毒にどう対処したのか?
--皇帝の入浴時の介助は宦官の役目
--宦官・宮女たちは一日何食だったのか?
--侍女へのお手付きはどこで起こりえたのか?
--掖庭の獄。呪詛、媚薬使用などの罪で皇后が廃される
--『水滸伝』の悪役、童(どう)貫(かん)は本当に悪事ばかり働いていたのか?
--北宋の滅亡時に拉致された后妃・宮女らはその後どうなった?
--処女と貞淑な人妻を犯すのが大好き。性欲のままに生きた金の海(かい)陵(りょう)王(おう)
--高麗(こうらい)から献上された奇(き)皇后の波乱の生涯
第4章 明代の後宮と事件簿
--明の太祖は宦官の政治関与を禁じたのか?
--後宮を恐怖に陥れた殉死制度の復活
--女官選びと后妃選びはどのように行われた?
--二十四衙門からなる宦官制度の確立
--お呼びのかからない妃たちは性的欲求不満をどう処理したのか?
--宮女の仕事が激変。儒教倫理が浸透したせいか?
--大艦隊を率いた鄭和(ていわ)はどうして宦官になったのか?
--刑死者3000人。後宮史上最悪の惨事となった魚(ぎょ)呂(ろ)の乱
--宮女たちはどんな神様を信仰していたのか?
--洗濯や入浴はどうしていたのか?
--宦官のための教育機関が成立
--人生の絶頂期から一気に落下した宦官の王振(おうしん)
--明の皇后の座は罰ゲームに近かった!
--二十歳近く年下の皇帝の心をつかみ、凶行を重ねた万貴妃(ばんきひ)
--宦官による災禍の過熱
--正徳(せいとく)帝(てい)のために造られた別邸「豹房(ひょうぼう)」とは?
--謎多き宮女たちによる嘉靖帝絞殺未遂事件
--荒淫剤の飲みすぎで早死、急死する皇帝が続出
--明末の三案。暴漢の侵入および皇太子暗殺未遂事件と相次ぐ皇帝の突然死
--秘密警察「東廠」のトップに宦官に魏(ぎ)忠(ちゅう)賢(けん)
--明のラストエンペラーに殉じたのは宦官1名のみだった
第5章 清代の後宮と事件簿
--歴代王朝とは大きく異なった后妃選び
--後継者選定で晩節を汚した康熙帝
--皇太子を公表しない「太子密建(みっけん)」
--乾隆帝をめぐる香妃伝説とは?
--規則正しかった皇帝24時間
--皇帝への性教育は誰がどのように行った?
--后妃の身分は衣服や装飾品の色や柄で識別できた
--皇帝と皇后が同衾するのは月に2回だけ
--皇帝は夜の相手をどうやって選んだ?
--2回戦は禁止。皇帝が無用と言えば女には避妊法が施された
--夜間の巡邏(じゅんら)経路と特に警戒すべき点は何だったか?
--非常に厳しかった後宮のルール(宦官の場合)
--非常に厳しかった後宮のルール(宮女の場合)
--宮女の自殺手段は水堀への身投げしかなかった
--宦官になるにはどうすればよかったか?
--宦官の名産地があった!?
--宦官の給与体系は?
--読み書き算盤のできる宦官は少なかった
--強いコオロギの捕獲・飼育は金儲けと出世の早道
--宦官の老後・引退後は?
--賊軍が後宮にまで侵攻。天下を震撼させた天理教の乱
--清朝の衰亡は「エホナラの呪い」が原因!?
--西太后に寵愛された宦官。安(あん)得(とく)海(かい)、李(り)蓮(れん)英(えい)、小徳張
--東太后は暗殺されたのか?
--西太后の側には温水を口に含んだ宮女が待機していた
--芝居好きが高じた西太后、宦官だけの劇団をつくる
--珍妃は本当に井戸で殺されたのか?
--光緒帝の最期は自然死か毒殺か?
第1章 古代の後宮と事件簿
--始皇帝の母を虜にした巨根男
--東方六国の美女を独占しながら、なぜ皇后を置かなかった?
--始皇帝の死を極秘とし、政権を掌握した趙(ちょう)高(こう)
--嫉妬心から寵姫(ちょうき)の手足を切断。外戚(がいせき)政治の嚆矢(こうし)となった呂后(りょこう)の闇
--1人の公主に始まる後宮のドロドロ劇
--最盛期のはずが。武帝の後宮は問題だらけ
--皇帝を依存症にさせた妖艶な美人姉妹
--宮女の結婚・妊娠・出産はざら。前漢時代の男子禁制は緩かった
--皇帝の墓守は殉死よりも過酷だった
--偉人として歴史に名を刻んだ宦官。司馬遷と蔡倫(さいりん)
--二刀流の皇帝たち。「断(だん)袖(しゅう)」の語源となった漢の哀(あい)帝(てい)は「後庭(こうてい)」を愛した
--後宮秘伝の避妊具「了肚貼(りょうとてん)」と避妊法「蔵(ぞう)紅花(こうか)」
--後漢の皇帝はどうして宦官の専横(せんおう)を許したのか?
--蜀漢(しょくかん)と孫(そん)呉(ご)の滅亡を速めた宦官・黄皓(こうこう)と岑昏(しんこん)
--西晋の武帝は夜の相手選びを羊に任せた
--「子貴母死(しきぼし)」。外戚の専横を防ぐため新皇帝の実母を殺害
--后妃による皇帝暗殺。東晋(とうしん)の孝(こう)武(ぶ)帝(てい)は酔いに任せた冗談で落命
--男漁りに精を出した北斉(ほくせい)の胡太后(こうたいごう)
第2章 隋唐代の後宮と事件簿
--隋の独孤(どっこ)皇后(こうごう)は大変嫉妬深く、隋の文帝は他の妃と会うことさえできなかった
--隋の煬(よう)帝(だい)は父の文帝を殺め、その寵妃をわがものとした
--煬帝を楽しませるために造られた三種の神器「御女車(ぎょじょしゃ)」「任意車(にんいしゃ)」「烏(う)銅鏡(どうきょう)」
--宦官も結婚ができた!
--世界帝国の後宮には異国出身の女性もいたのか?
--起床就寝は何時頃だったのか? 時間の管理者は?
--太宗(たいそう)の後宮にいた則天武后(そくてんぶこう)がどうして高宗(こうそう)の後宮に入れたのか?
--則天武后はライバルを追い落とすためわが子を手にかけた!
--玄宗の女性の好み
--「後宮の佳麗三千人」は誇張どころか控え目な数字だった!
--玄宗はなぜ宦官の高力士を重用したのか?
--胸の谷間を見せる装束は本当にありだったのか!?
--唐の衰退を決定づけた甘露(かんろ)の変
--纏足(てんそく)流行のきっかけとなった南唐(なんとう)の寵妃
第3章 宋・金(きん)・元代(げんだい)の後宮と事件簿
--宮女たちは纏足で不自由なかったのか?
--毒見役は遅効性の毒にどう対処したのか?
--皇帝の入浴時の介助は宦官の役目
--宦官・宮女たちは一日何食だったのか?
--侍女へのお手付きはどこで起こりえたのか?
--掖庭の獄。呪詛、媚薬使用などの罪で皇后が廃される
--『水滸伝』の悪役、童(どう)貫(かん)は本当に悪事ばかり働いていたのか?
--北宋の滅亡時に拉致された后妃・宮女らはその後どうなった?
--処女と貞淑な人妻を犯すのが大好き。性欲のままに生きた金の海(かい)陵(りょう)王(おう)
--高麗(こうらい)から献上された奇(き)皇后の波乱の生涯
第4章 明代の後宮と事件簿
--明の太祖は宦官の政治関与を禁じたのか?
--後宮を恐怖に陥れた殉死制度の復活
--女官選びと后妃選びはどのように行われた?
--二十四衙門からなる宦官制度の確立
--お呼びのかからない妃たちは性的欲求不満をどう処理したのか?
--宮女の仕事が激変。儒教倫理が浸透したせいか?
--大艦隊を率いた鄭和(ていわ)はどうして宦官になったのか?
--刑死者3000人。後宮史上最悪の惨事となった魚(ぎょ)呂(ろ)の乱
--宮女たちはどんな神様を信仰していたのか?
--洗濯や入浴はどうしていたのか?
--宦官のための教育機関が成立
--人生の絶頂期から一気に落下した宦官の王振(おうしん)
--明の皇后の座は罰ゲームに近かった!
--二十歳近く年下の皇帝の心をつかみ、凶行を重ねた万貴妃(ばんきひ)
--宦官による災禍の過熱
--正徳(せいとく)帝(てい)のために造られた別邸「豹房(ひょうぼう)」とは?
--謎多き宮女たちによる嘉靖帝絞殺未遂事件
--荒淫剤の飲みすぎで早死、急死する皇帝が続出
--明末の三案。暴漢の侵入および皇太子暗殺未遂事件と相次ぐ皇帝の突然死
--秘密警察「東廠」のトップに宦官に魏(ぎ)忠(ちゅう)賢(けん)
--明のラストエンペラーに殉じたのは宦官1名のみだった
第5章 清代の後宮と事件簿
--歴代王朝とは大きく異なった后妃選び
--後継者選定で晩節を汚した康熙帝
--皇太子を公表しない「太子密建(みっけん)」
--乾隆帝をめぐる香妃伝説とは?
--規則正しかった皇帝24時間
--皇帝への性教育は誰がどのように行った?
--后妃の身分は衣服や装飾品の色や柄で識別できた
--皇帝と皇后が同衾するのは月に2回だけ
--皇帝は夜の相手をどうやって選んだ?
--2回戦は禁止。皇帝が無用と言えば女には避妊法が施された
--夜間の巡邏(じゅんら)経路と特に警戒すべき点は何だったか?
--非常に厳しかった後宮のルール(宦官の場合)
--非常に厳しかった後宮のルール(宮女の場合)
--宮女の自殺手段は水堀への身投げしかなかった
--宦官になるにはどうすればよかったか?
--宦官の名産地があった!?
--宦官の給与体系は?
--読み書き算盤のできる宦官は少なかった
--強いコオロギの捕獲・飼育は金儲けと出世の早道
--宦官の老後・引退後は?
--賊軍が後宮にまで侵攻。天下を震撼させた天理教の乱
--清朝の衰亡は「エホナラの呪い」が原因!?
--西太后に寵愛された宦官。安(あん)得(とく)海(かい)、李(り)蓮(れん)英(えい)、小徳張
--東太后は暗殺されたのか?
--西太后の側には温水を口に含んだ宮女が待機していた
--芝居好きが高じた西太后、宦官だけの劇団をつくる
--珍妃は本当に井戸で殺されたのか?
--光緒帝の最期は自然死か毒殺か?