写真家・清岡純子氏は、大正10年6月22日、子爵・清岡長言の三女として京都に生まれました。
新聞社などで報道写真を手掛け、昭和40年からフリーになりました。 当初は報道写真家として、戦火のベトナム取材などが注目されていました。
昭和40年代後半に、尼寺やその秘蔵人形を撮影し、写真家としての名声を高めます。
昭和50年代に入り、「聖少女」「野菊のような少女」「犬と少女」「舞・少女」など、少女を被写体とした写真集を次々発表し、ライフワークとしていきます。 これらの写真集は、美術書専門の出版社「フジアート出版」より刊行されていました。 同時に、横浜三越などで報知新聞社主催・読売新聞社後援の写真展が開催されています。 また、昭和40年代後半〜50年代前半に、西ドイツ(当時)やポーランドの写真展で入賞しています。 少女をモチーフに、詩的な世界を表現する写真家として、国内外で高い評価を受けていました。
この時期の活動の集大成といえるのが、写真集「潮風と少女」です。 また、この写真集の未使用カットなどを再編したものとして、「私は『まゆ』13歳」があります。
昭和50年代後半になると、少女ヌードを月刊の形態で発表するようになりました。以後、いわゆる「猥褻写真」という扱いを受け、発行した写真集が発禁処分となるなどしました。 しかし、清岡氏は一貫して「芸術作品」という主張をしています。 実際、清岡氏はそれ以後も、『芸術写真家』として各界から評価されているのです。
平成3年10月17日、失意の中、永眠。歿後、辰巳出版や綜合図書より遺作集が刊行されましたが、平成11年「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」が施行され、「18歳未満の裸体」を表現しているほとんどの作品が、同法に抵触する可能性があることから、その芸術性を判断されることなく絶版となり、今に至っています。
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