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書物復権によせて


◆ 書物復権によせて

福嶋亮大

絶版本が好きだ-- などと言うと何やら誤解を招きそうだが、事実そうなのだから仕方がない。僕はどうも、センスが良くて洒落た本よりは、古典的な力量と文体を備えた硬質な人文書に惹かれる傾向があるのだが、そういう本は今時たいてい古書で買い求めるしかない。
文芸・歴史関係に限定して言えば、レーヴィット『世界と世界史』、ルカーチ『ソルジェニーツィン』、アドルノ『楽興の時』、ブルトマン『歴史と終末論』、ベルジャーエフ『ドストエフスキーの世界観』、フィードラー『アメリカ小説における愛と死』、シュウォルツ『中国の近代化と知識人』、吉川幸次郎『仁斎・徂徠・宣長』、大山定一『文学ノート』、高橋康也『サミュエル・ベケット』等は実に良い栄養になったし、文庫化されたもので言えば、サルトル『聖ジュネ』、ジイド『ドストエフスキー』、佐藤春夫『近代日本文学の展望』、五味康祐『音楽巡礼』、梅原猛『美と宗教の発見』、小松左京『わたしの大阪』、石母田正『神話と文学』あたりも忘れ難い。
思いつくままにタイトルを列挙してみるだけでも、もはや書店では手に入りそうもないこれらの本の印象がまざまざと蘇ってくる。絶版であるということは、それだけ書物との私秘的な関係を強めるものなのだろう。
とはいえ、僕は愛書家ではなく、本に対するフェティシズムもない。ある時期の知識人がどうやって文芸や世界を読み解いていたかを教えてくれる言葉、しかももはや二一世紀には発せられそうもない硬質で非妥協的な言葉――、この「古びることによって獲得される言葉の物質性」が僕には貴重なのだ。
何にせよ、良書が絶版になってしまうのは寂しいことだ。日本では「よくもこんなものまで」と思う本まで翻訳されているけれども、ちゃんとレールさえ引けばそういうマイナーな本にも生気を与えられるのではないか。真の「書物復権」に必要なのは、電子化よりも本のネットワーク化・文脈化だと思う。



◇福嶋亮大(ふくしま りょうた) … 1981年京都生まれ。文芸評論家・中国文学者。立教大学文学部助教。著書に『神話が考える -ネットワーク社会の文化論』『復興文化論 -日本的創造の系譜』(第36回サントリー学芸賞受賞)『厄介な遺産 -日本近代文学と演劇的想像力』(いずれも青土社)。



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