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書物復権によせて

遠藤正敬

本をめぐって頭を痛めるという経験は人それぞれにあろう。読めない、書けない、整理できない……。筆者はもっぱら整理の点で頭を痛めるタチだが、ある時など文字通り本で「頭を痛めた」ことがある。図書館で頭上六〇センチほど上にある棚から落下した「〇○全集」の一冊(ハードカバー)が頭頂部を直撃した時は目から火花が出た。人を罵る時に「豆腐の角にでも頭をぶつけて死ね」という文句があるが、本の角に頭をぶつけて死ぬのは名誉なことなのか?
本は溜まっていくと置き場所に困り、整理整頓の出来ない我が身の科を棚に上げて“厄介物” にしてしまううらみがある。巷では、コロナ禍で在宅時間が多くなった結果、家内の片付けに精を出す人が増えたようであるが、天性の“捨てられない症候群” を抱える筆者が突然「断捨離」にいそしみ出したら、たちどころに天変地異を呼び起こしかねない。古本屋に売りに行ったことも多々あるが、居丈高な店主に二束三文で買い叩かれるのがシャクで、それもしなくなった。挙げ句の果てに、厚めの本を数冊まとめて漬け物石やズボンの寝押しに利用する始末である。
本の置き場所を忘れることも極度に多い。いまあの本が必要なのにとホコリにまみれての家宅捜索もむなしく、行方知れずに終わるのが関の山である。そして井上陽水の「夢の中へ」よろしく、探すのをやめた時に見つかって後の祭りとなる。周知のように本には「書籍」という異名がある。戸籍の研究に取り憑かれた人間は、「籍」という字を目にすると“パブロフの犬”よろしく目を輝かせて過敏に反応してしまうのだが、なぜ本を「書籍」と呼ぶのか。
戸籍をはじめ、国籍、学籍、兵籍、党籍……というように「籍」は個人の国家や組織への所属を示す語である。換言すれば、それは何らかの機関によって管理されている状態を意味する(そう考えると「本籍」とは実にまぎらわしい語ではないか!)。
その証拠に、書籍には「ISBN(International Standard Book Number)」という一三桁の番号が付される。これは書名や出版国(地域)や出版社(者)などの情報からなる世界共通全書籍不同の番号である。まるで日本において内外人問わず住民に付されるマイナンバーを彷彿させる。デジタル化が叫ばれて久しいが、どうせならこのISBNを駆使してGPSよろしく本の位置情報を即座に確認できるシステムなど開発できないものかとしばしば思う。その反面、書籍も厳格な管理社会に取り込まれることには本の精霊も抵抗があるかもしれぬ。
デジタル化時代、スマホで読める電子書籍も浸透しているが、目の悪い筆者にとっては難物である。何より紙の本には「匂い」という醍醐味がある。紙やインクのハーモニーが織りなす匂いにほだされる悦び。照り輝く新刊本を開いた時に鼻翼をくすぐる酸味がかった匂い。褐色に染まった古書から漂う香ばしい埃りっぽい匂い。特に後者は往年その本を手にした人々の汗や手垢が染み込んだ結晶でもあり、年代物のワインを味わっているかのような境地にさせてくれる(そんなワインは飲んだことはないが)。
かような匂いフェチの存在も紙媒体の本の存続、書物復権の後押しとなれば幸甚である。

◇遠藤正敬(えんどう・まさたか)…1972年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了。博士(政治学)。
専門は政治学、日本政治史。現在、早稲田大学台湾研究所非常勤次席研究員。宇都宮大学、埼玉県立大学、東邦大学等で非常勤講師。著書に、第39 回サントリー学芸賞を受賞した『戸籍と無戸籍--- 「日本人」の輪郭』(人文書院)のほか、『近代日本の植民地統治における国籍と戸籍--- 満洲・台湾・朝鮮』『戸籍と国籍の近現代史--- 民族・血統・日本人』(いずれも明石書店)、『天皇と戸籍--- 「日本」を映す鏡』(筑摩書房)、『犬神家の戸籍--- 「血」と「家」の近代日本』(青土社)などがある。

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