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書物復権によせて


◆ 書物復権によせて

新城郁夫

小学5年生から6年生の頃という短い間のことであったが、生まれ育った宮古島の家からそう遠くないところに位置する公立図書館に通う一時期があった。公立図書館に通うという経験は、後にも先にもこの一年余りの一時期しかない。1975年前後のことである。通いつめたその図書館は、いまや跡形もなく取り壊されてしまった。
だいぶ後になって知るのだが、この図書館は1952年に「宮古琉米文化会館」として設置されたもので、当初は木造建築であったが台風被害などを考慮して1961年に鉄筋コンクリートに建てかえられている。私が通っていたのは、この鉄筋コンクリートによるモダンな建物だった。古めかしいが中に入ると意外に奥行きがあって幾つもの部屋が設けられており、暗めの落ち着いた照明のもと、窓の外には常緑の木々が枝を広げて深い影を生み出していた。私にとって図書館といえばそこであってそこ以外になく、これ以上の図書館を想像しようがなかった。ありていに言って、私は、満足していたのである。
満足とは言っても、図書館に通うわりに読書した記憶がほとんどないのだから、本以外のことで満足していたのだろう。ともかく居心地が良く、思いっきり独りでいられ、たまに人がいても十分な距離があって小さな自分の空間が守られる。そうした環境そのものが本によってしっかり囲われているのがなんとも心地よかった。沖縄本島から遠く300キロ離れた小さな島で、狭い人間関係のなかで生きる小学生にとって、こうした空間と時間がいかに大切なものであったか。今にあって想像するのは難しいと感じるほどである。
ただ、そうした空間と時間の設立の要に、占領米軍の文化宣撫政策という政治が深く関わっていたことを知ると、やはり思い複雑となる。こうした琉米親善文化センターが占領時代の沖縄では、宮古島のほかに石垣島、那覇、石川、名護、名瀬(奄美)の各所に建てられ、盛んな文化活動が展開されていた。本も、音楽も、映画も、料理も、そこを中心に形づくられていった。そのセンターに喜んで通いつめていた私のような人間は、米軍占領政策の「罠」に見事に嵌はまってしまった者といえるのかもしれない。
だが、と思う。その図書館で手にして記憶に残っている本といえば、今にして思えば、基本的人権の意義をまっすぐに説いた次のような2冊である。1冊は『誤まった裁判--八つの刑事事件』(上田誠吉・後藤昌次郎著、岩波新書、1960年)、もう1冊は書名があやふやだが日本国憲法の入門書だった。どちらもいつ返したのか覚えがないほど長く手元に置いて眺めていた。内容を理解できたはずがないのだが、読む真似だけでも楽しかった。
本は、支配の狡知を裏切って、知と感情を編み直す。なんとも大げさな感慨でもって、小学生時分の朧(おぼろ)な記憶を編み直そうとしているのが今の私である。



◇新城郁夫(しんじょう・いくお) … 1967年生まれ。琉球大学法文学部・人文社会学部教授。専攻は近現代沖縄文学・日本文学、ポストコロニアル研究、ジェンダー研究。著書に、『沖縄を聞く』(みすず書房)、『沖縄の傷という回路』(岩波書店)、『沖縄に連なる』(岩波書店)など。



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