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スピカちゃんさんの公開ページ レビュー一覧

レビュー

  • 平成史 完全版

    小熊英二

    平成は単に昭和の半分、大正の二倍の年数ではない

    平成の30年間(正式には30年113日)はいい意味でも悪い意味でも波瀾万丈に富んだ昭和、約15年しかなかった大正を足して2で割っただけが平成ではないという視点から平成史を振り返っている。
    平成は天皇の生前退位によって、30年で終止符を打ったが、本書は生前退位をせず、天皇が崩御するまでが平成であるという視点にも立っている。つまり、令和ではなく、平成がまだ続いているという観点で平成史を回顧している。これはもっともな考えであり、平成天皇明仁は上皇としてまだ存命しており、彼が崩御するまでが平成であり、令和は単に天皇がチェンジしたに過ぎないという考えである。元号が令和であっても、それは天皇には定年というものが存在しないから、生きている限り、天皇としてあり続けなければならない。それができなくなったから、平成天皇明仁は生前退位という依願退職の方法を取ったのであり、明治以降、元号は天皇に即位してから崩御するまでに改められていることを考えれば、平成のピリオドは異質であり、平成はまだ続いているという考えも納得できる。
    本書では言及してはいないが、平成天皇明仁(上皇)はいつまで存命するのかという含みも持たせている内容になっている。生前退位は寿命が延びたことに対する副産物と言えよう。
    本書はまだ未完成であると考えている。平成天皇明仁(上皇)が逝去して、平成が完全に幕を閉じるという考えであれば、おそらく、改訂版が出ると思う。その改訂版こそ、真の平成史であると考える。(2019/07/16)

  • 日米の教科書 当時の新聞でくらべる太平洋戦争

    戦争に勝利も敗北もない

    当時の日本と米国の戦争報道を見比べると、日本はすでに負けることを覚悟していたが、それができず、無差別空襲(空爆)に晒され、それでも勝てるという何の根拠もないことで戦争を継続し、最後は本土決戦と口にし出した。つまり、戦争を継続させるために新聞を利用した。当時の読売・朝日・毎日はそれがわかっていながら、大本営・陸海軍の言う通りにしなければならなかった。まさにジャーナリズムのかけらもないことを彼らはやった。本来なら、読売・朝日・毎日は戦争に加担した罪でGHQによって潰されるはずだったのに現在も存続している。しかも、戦争中の数々のプロパガンタをしたことは反古し、今もそのことに関する公式謝罪はない。
    一方の米国はパールハーバーの屈辱はあるものの、当初はこの戦争はナチスドイツよりも早く終結するものと思っていたことが当時の新聞からも見受けられる。けれども、日本はしぶとかったことでそれこそ、早く決着をつけるためにほぼ正確に報道し、現在の日本の状況を米国民に知らせることで戦争を終わらせるために鼓舞させた。
    それでも、日本は負けることがわかっていながら続けた。米国は日本の息の根を止めるために様々な手をうってきた。そのことも米国はきちんと報道していたが、日本は誤魔化していた。本当のことを報道すれば、日本国民に戦争する気をなくすことを危惧したからだ。その結果、沖縄が戦渦に晒された。それでもまだ戦争をやる気だった日本に止めを刺すために伝家の宝刀である原爆を落とした。最初の広島ではまだまだやる気だったことが当時の新聞からも読み取れるが、次の長崎で今度は東京がやられるという不安にかられ、ついに無条件降伏を追い込まれたが、このとき、なぜ原爆投下の前にしなかったのかという疑問がある。
    仮に原爆投下前に無条件降伏をしていたとしたら、原爆・水爆・核兵器の恐怖や恐ろしさがわからず、日本は平和への道を歩むのが確実に遅くなったはずであるが、広島と長崎の原爆投下によって、本土決戦を食い止め、日本がドイツや朝鮮半島のように二つの国に分割させられる危機を脱することができた。これが米国が原爆投下を正当化する理由の一つであるが、日本にしてみれば、正当化できないのは原爆の悲惨な状況を目の当たりにした人たちから見れば、赦しがたいことでもあるが、その違いが日米の報道にもよく表れている。けれども、無条件降伏の決断が遅くなったためにソ連の満州・千島・樺太の侵攻を食い止めることができなかったのは痛恨の極みである。
    それを考えると、日本は正確な戦況を報道すれば、戦争は確実に早く終わっていたはずである。読売・朝日・毎日は改めて、ジャーナリズムの本質を考えるべきであると痛感した。(2018/08/24)

  • はしれ! ちんちんでんしゃ -東京都電 荒川線-

    後藤英雄

    昔の荒川線を思い出した

    現在の荒川線しか知らない人には新鮮であり、昔の荒川線(ワンマン化された頃)や都電27・32系統だった頃を知っている人には懐かしさを覚えるはずである。
    この絵本は復刻版なので、現在もある王子駅前~飛鳥山の明治通りの併用軌道以外にもあった「宮ノ前~小台」の併用軌道の描写もしっかり描かれているので、現在のセンターリザーベーション方式しか知らない人にとっては、都電が路面電車だったことを実感できるし、再開発する前の町屋駅前の描写も正確に描かれているので、昔の荒川線はこういう風景だったことを絵本なら読み取れ、歴史を知る上でも貴重である。
    写真はリアルに写すが、絵本はファンタジー、しかも、この絵本は荒川線がワンマン化された頃の様子を描く、実体験を元にしているので、写真よりも楽しく荒川線の歴史を知ることができる。老若男女、手に取れる絵本でもある。(2018/02/15)

  • 小田急ロマンスカー物語

    生方良雄 諸河久

    ロマンスカーは電車特急のオンリーワン

    ロマンスカーSEが就役してから六十星霜。
    小田急ロマンスカーの歴史はSEを境に飛躍的に変わり、国鉄151系をはじめとする電車特急の飛躍のきっかけになったのは紛れもなく、小田急ロマンスカーSEであり、SEの登場が鉄道友の会のブルーリボン賞を創設するきっかけになったのは周知の通りである。そのロマンスカーの歴史を知ることは電車特急の歴史をひもとくことにもなる。
    ロマンスカーが目指していた「新宿~小田原」を60分で結ぶ構想はこの作品でも述べられているが、新宿~小田原をノンストップで走るロマンスカーも平日下り1本、土休日下り2本しかなくなり、60分運転は遠退いてしまったが、この本ではその60分運転の夢を見させてくれる。いつかは必ず、60分を切るロマンスカーの定期運転が実現すると信じている。(2017/08/19)

  • 御殿場線ものがたり

    宮脇俊三 文 / 黒岩保美 絵

    愛する御殿場線

    御殿場線が東海道線のメインルートから外れた後の歴史に翻弄され、複線から単線になっても、地方交通線ではなく、幹線として、メインルートだった頃の威厳を残している御殿場線。
    御殿場線の歴史を知る上、絵本という形は取っているが、御殿場線のことを学ぶには最適な本である。(2017/02/11)

  • 泣いた赤おに

    浜田広介 作 / つちだのぶこ 絵

    いじめ問題に置き換えると、まさに考えさせられる

    人間と仲良しになりたい赤鬼さんのために、自分が人間の嫌われ者になることを承知で悪者になった青鬼さん。その青鬼さんを懲らしめる赤鬼さんは本当はそんなことをしたくなかったけれど、人間と友達になりたい赤鬼さんは無二の心友である青鬼さんの思いやりや心意気がわかっているからこそ、あえて青鬼さんを懲らしめた。心の中では「青鬼さん、ごめんなさい。人間と仲良しになりたい僕の気持ちを組んでくれて本当にありがとう。人間と仲良くなれたら、本当のことを人間に話し、青鬼さんも人間と仲良くなれるようにするね」と思ったはずです。
    けれども、その思いは青鬼さんには届かなかった。もし、本当のことを話してしまえば、折角、人間と仲良くなれた赤鬼さんが人間に近づくために青鬼さんとグルになったと思われ、赤鬼さんが人間たちにいじめられてしまうと考えた青鬼さんは自ら身を引き、赤鬼さんと永遠の別れを選択してしまった。その青鬼さんの優しさに赤鬼さんは改めて、青鬼さんと心友であったことを心から感謝し、青鬼さんに二度と逢えないけれど、青鬼さんのことはこれからも心友として、心の中ではいつも一緒にいるよと思っているはずです。
    この赤鬼さんと青鬼さんの友情は、そのまま人間の世界に置き換えることができます。これをいじめ問題として捉えた場合、赤鬼さんがいじめられっ子、青鬼さんは赤鬼さんの心友ではあるけれど、いじめっ子から目を付けられるのが怖くて、表面上は赤鬼さんとは距離を置いているものの、心友である赤鬼さんを何とかしていじめ地獄から救ってあげたいと苦悩していると見ることができます。そして、人間と仲良くしたいはいじめっ子と置き換えれば、まさにいじめ問題と見事にリンクしています。
    赤鬼さんはいじめで苦しみ、悩んでいました。このままではいじめに耐えられず、最悪の事態に追い込まれてしまうと心友の青鬼さんに助けを求めました。表面上は距離を置いていたものの、心友である赤鬼さんのことを黙って見ることができなくなった青鬼さんは赤鬼さんに向けられているいじめを自分に向けさせ、いじめ地獄から赤鬼さんを救うことを決意し、それを実行に移しました。
    青鬼さんの思惑は見事に的中し、赤鬼さんのいじめはピタッと止まりましたが、今度は青鬼さんがいじめのターゲットになりました。しかし、誰も青鬼さんを助けようとしません。赤鬼さんは青鬼さんを助けたいと思っても、それをすれば、青鬼さんの思いを無にしてしまうし、腕力や喧嘩が弱い赤鬼さんは返り討ちに遭えば、今度は青鬼さんも赤鬼さんもいじめのターゲットにされてしまう。赤鬼さんは青鬼さんへの感謝の思いを胸に、二度といじめられないように心を強くすることを決意し、いじめっ子に負けないように鍛えることを青鬼さんに誓いました。
    青鬼さんはその後、不登校し、そのまま学校から離れ、除籍になったとすれば、まさに「泣いた赤おに」と同じラストになります(いじめを苦にした自殺は青鬼さんは絶対にしないはずだし、それをすれば、いじめっ子に完全敗北をしたことになるし、何よりも赤鬼さんが悲しむはずなので、青鬼さんは不登校を選択するはずです。「泣いた赤おに」のラストを考えれば、青鬼さんは除籍になったと考えるのが筋と考えます)。
    いじめ問題を考える上で「泣いた赤おに」は最適な教材です。私たちは赤鬼さんと青鬼さんのような心友を持つ大切さを学び、「いじめはいじめる方が絶対に悪い」ということを改めて知るべきです。また、いじめ問題を各種ハラスメントや虐待問題に置き換えても同様です。すなわち、子どもだろうと大人だろうと、「泣いた赤おに」は心のバイブルに不可欠な童話です。(2016/08/05)

  • 【バーゲンブック】昭和の鉄道 40年代 鉄道の黄金時代

    ヨンサントーで変わった

    昭和の鉄道を語る上でヨンサントーを境に国鉄の明暗をはっきりさせてしまった。
    時刻表では東海道線が急行列車は一部を除き、残ったものの、東京発の特急列車は寝台特急を除き全廃(後に新設された、特急あまぎ→踊り子は除く)され、通勤路線としての道を着実に歩むことになり、地方では特急が新設される路線が増えた。
    一方、車両では新幹線0系や485系、103系、113系、115系が大量製造され、画一的な車両が増え、効率性と大量輸送が優先される時代になり、同時に国鉄の赤字は毎年増えてしまい、それによって、国鉄の車両はJRになるまで、マイナーチェンジした車両ばかりになり、完全なる新型車両はチョッパ制御の201系まで待たされることになった。
    つまり、鉄道を語る上で昭和40年代は国鉄分割民営化になるまで、山陽新幹線の開通はあったもの、経営的には苦しくなり、サービスでは急行列車の食堂車は急行きたぐにの北陸トンネル火災を境に全廃、電車急行のビッフェは合理化で営業休止が相次ぎ、特急列車には食堂車が当たり前にあった時代は1972年の房総地区の特急(さざなみ・わかしお)では近距離であるため見送り、これをきっかけに特急だからといって食堂車の連結は当たり前の時代は終わった。しかし、山陽新幹線の博多延伸で新幹線に食堂車が登場するが、これも長くは続かなかった。
    鉄ちゃんと自称する人たちこそ、昭和40年代の国鉄の歴史を学ぶ必要があるし、そのバイブルに相応しい一冊である。(2016/02/05)

  • 十二の真珠 -ふしぎな絵本-

    やなせたかし

    やなせ先生の素晴らしさが…

    現在のアンパンマンはアニメによって育てられた部分が多分にありますが、やなせ先生の原点はアニメではなく、童話であり、絵本であり、漫画であることがとてもよくわかり、それでいて、やなせ先生はつねに子どもの目線で作品を描かれていることがこの本に凝縮されています。(2015/04/04)

  • 学校制服の文化史

    難波知子

    制服の歴史は福光(復興)の歴史

    制服の歴史を見ていくと、明治・大正は男性は詰襟、女性は袴・着物の制服が圧倒的に多かったのは、洋服文化があまり根付かず、洋服が着られたのは一部の富裕層だったことでも、洋服の制服はまさに贅沢なものだった。しかも、外国の真似が多かったのも、制服文化が皆無だった江戸時代からの転換を図るには時間がかかったことでもいえる。
    やがて、日本独自の制服文化が芽生えて来る頃には戦争が暗い影を落とし、洋服の制服が増え始めた矢先、特に大東亜戦争が始まる頃にはスカートがもんぺになり、名札の縫いつけが義務付けられ、今からみても、この頃の制服がもっともダサいものになったが、戦時中はそんなことをいってられなかったから、機能性が重視された。
    戦後、再び制服文化が興隆したが、時代とともに品質は向上し、デザインも学校の制服という範疇から、学校外でも着たい制服へと変化し、制服で学校を決める生徒も出てきた。制服はとくに私立にとっては重要なアイテムになってきた。
    そして、制服は時代を見る重要なアイテムにもなった。それはスカートの長さや靴下の変化、スカートのデザインにもあわられている。
    欧米では制服なしの学校が多い中、日本では多くの中学校・高校で制服を採用している理由を知るにはこの本は最適であり、制服の歴史は福光(復興)の歴史でもあることがよくわかる。(2014/09/03)

  • 子どもの美術 全6巻セット

    佐藤忠良 安野光雅 編・監修

    教科書の国宝

    教科書としての子どもの美術で読みましたが、小学生の頃から図工・美術が本当に苦手で、図工・美術は小・中学校の9年間、評定がすべての学年で「1」になるほど、大嫌いな科目でした。普通なら、学校を終えたら、真っ先にそんな教科書は棄ててしまいますが、この子どもの美術はなぜか棄てずに取っていました。
    先日、ニュースで子どもの美術が復刊され、教科書としての子どもの美術を今も大切にし、それを指導書として図工の授業に使っている小学校教諭がいることを知り、子どもの美術を取って置いたことを思い出し、読んで見ました。
    元々は美術が好きな親が教科書としてではなく、美術書として保存しようと取って置いたのですが、改めて読んで見ると、図工・美術が大嫌いでたまらなかった小学生時代だったら、見向きもしなかったですが、大人になって、客観的な視点で読んで見ると、この教科書のねらいは図工・美術が嫌い、苦手な児童に図工・美術に興味・関心を持ち、少しでも好きになって欲しいという著者の願いが込められていることを知りました。
    子どもの美術はたかが教科書という範疇を越えた、教科書の国宝であると強く思いました。小学校教諭が今でも、指導書として使っている理由が今なら、その理由がわかります。頭ごなしに嫌いという先入観を持ったために、小学生時代はその素晴らしさがわからなかったですが、今ならよくわかります。子どもの美術を取って置いてくれた親には心から感謝しています。しかも、ほとんど開けなかったので、何十年も経っているにも係わらず、落書きは全くなく、汚れや変色などもなく、教科書を貰った当初のクオリティが保たれているのがまさに奇跡的です。子どもの情操教育に相応しい本です。
    復刊は果たしていますが、これを小学校の図画工作科の教科書としても復刊して欲しいです。それほど、この教科書は教科書を凌駕した良書でもあるからです。(2013/11/14)

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