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書物復権によせて


◆ 書物復権によせて

河野有理

本に囲まれて育った。実家が本屋を営んでいるからである。といっても新刊書を扱う書店ではない。とある大学の近くにある古本屋である。店舗と住まいは離れていたが、どちらも本にあふれていることに変わりは無かった。
本に囲まれて育った子どもは、当たり前のようにというべきか、何の因果でというべきか、日常的に本を読むことを仕事にする研究者というものになった。
「本が好きなんですね」と聞かれることがある。もちろん嫌いなわけがない。素直に「はい」と即答すればよいのだろうが、言いよどんでしまうのが常だ。
一つには、本を読むことが仕事だからだろう。研究者というものは浅ましいもので、何かを読んでいても常に「この部分は論文で使えないか」などと考えてしまう。何のためでもなく、ただそれ自体を楽しむために本を味読することの喜び。そういうものを、研究者という職業を選ぶことで、自分は永久に手放してしまったのではないか。そう思うと少し寂しくなることもある。
だが、それだけではない。もう一つの理由はおそらく、本を売るのを仕事とする人間に育てられたからである。自分がいまここにこうしてあること、それ自体が商品としての本の代価のおかげなのである。その昔、家の中にあふれていた本を何かの拍子に踏んでしまった際にはよく言われたものである。「何のおかげで飯が食えてると思っているんだ」。本は事実、私の飯の種であり、「本に囲まれて育った」というよりは文字通り「本に育てられた」というのが実を言えば本当のところなのだ。そして、大きすぎる恩は時に人の口を重くさせる。
本はまずもって商品である。そして、商品としての本を扱う本屋というものは「本の中身」を読まない(ふりをする)ことをもって誇りとしているものである。それはすべての本を差別しないためであり、また読まないでもその本の「価値」を正確に見積もることができるからでもある。本屋ほど「眼光紙背に徹する」ことが求められる職業はない(その意味で最近の「書店員による内容紹介」ばやりには正直鼻白むものがある)。
我が家にもあらゆる種類の本があった。そうした本をばしばしっとはたきながら、それでも時折、父は言ったものである。「これはいい本だぞ」。そういう本屋の、店の奥の棚の上の方、物の分かった客の目のつくところにさりげなくおかれた、ハードカバーで少し澄ましたような顔をした本たち。書物復権で復刊されるのも、きっとそうした本たちに違いない。「なかなかわかっているじゃないか」。



◇河野有理(こうの ゆうり) … )1979年生まれ。東京大学法学部卒業、同大学院法学政治学研究科博士課程修了。博士(法学)。日本政治思想史専攻。現在、首都大学東京法学部教授。主な著書に『偽史の政治学』(白水社)、『日本の夜の公共圏』(共著、白水社)『明六雑誌の政治思想』(東京大学出版会)、『田口卯吉の夢』(慶應義塾大学出版会)、『近代日本政治思想史』(編、ナカニシヤ出版)がある。



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