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書物復権によせて


◆ 書物復権によせて

大澤聡

大きな家ではなかったからちょっとでも広く効率的に使わせてやりたいという親心だったのか、それともたんにレイアウトを考えるのが趣味だったのか、おそらくその両方だったんだろう、母は僕(低学年)と妹(保育園)の共同の子ども部屋を頻繁に模様替えした。毎度おおがかりで、何日も前からあちこちの寸法をメジャーで測定しては、チラシ裏の図面にせっせと数値を書き込み、むむむむと悩んでいる。決行当日は朝から総動員で配置図にしたがって家具を移動させてゆく。パズルだ。丸一日かけて完成してみれば、なんだか別の家に引っ越したようで、そわそわしてしまってその日の夜はうまく寝つけないのだった。目が覚めたらすっかり新しい部屋が待っている。
棚を運ぶにはコミックや児童書をいったんすべて出さなければならない。戻すついでに排列も変わる。出来あがってみれば、これも別のコレクションに見えてくる。そんな経験のせいか、いまでも本棚をがらりとシャッフルしてしまいたい衝動にかられる(が、実際には次の引っ越しまで実現しない)。いつもの棚は風景と化して、あまり刺激をくれない。
原稿に詰ったときには本棚の一角を整理してみる。典型的なセルフハンディキャッピングだろう。けれども、本たちをいじっているうちにアイデアが湧くこともある。テーマと関連する本の上下左右に隣接したタイトルを替えてやるだけで、新たな文脈が生成する。思考も組み替わる。書物の四方八方に生えた結合手を幻視しているわけだから、元々は僕の頭のなかにあったイメージなのかもしれない。だけど、物体として外化されてあることこそが重要なのだ。さらにがちゃがちゃ触っているうちに変則的結合も生じる。
これはデジタルの世界ではできない。疑似的には可能でも体験の質がぜんぜんちがう。哲学者の三木清が「私の読書法」(1939年)というエッセイでこんなことを書いている-- 「忙しくて読むひまのない時には、書庫に入っていろいろな書物を取り出してただその背を撫でてみる。それだけでも私には十分楽しいのである。こうして書物に親しむことを私は好む、それによって一見して善い本と悪い本とを区別する勘とでもいったものが養われるように思う」。後半はちょっとヤバいことをいっている。けれど、ここには一定の真理がある。やっぱり本は触れないといけない。これは愛書趣味やフェティシズムとは異なる。どこまでも実利的で批評的な行ないなのだ。



◇大澤聡(おおさわ さとし) … 1978年生まれ。批評家、メディア研究者。近畿大学文芸学部准教授。博士(学術)。著書に『批評メディア論-- 戦前期日本の論壇と文壇』(岩波書店)など。



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